マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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移転候補の主水山地蔵尊

2016年04月17日 09時43分09秒 | 移設道路工事
毎年の8月23日にご詠歌を唱える地蔵盆が行われている主水山(もんどやま)地蔵尊。

住まいする大和郡山市城町にある。

県立奈良病院移設建築に伴って石木-城線都市計画道路が計画されている。

主水山地蔵尊横の周りは道路の付け替え工事。



右の道をこのまままっすぐ。

移設建築を予定している県立奈良病院の導入路になる。

30云年前の計画では奈良市押熊に抜ける大和中央道だった。

ここより南にある城大橋からは大きく折れて富雄へ向かう県道が本筋になった。

元々計画していた道は住まいする住宅地を北進し病院への導入路になる。

我が家のすぐ傍である。

工事が始まった付け替え道が敷設されたら地蔵尊は移動されるのか・・・。

されたらどこへ移るのか。

もしも移すということになれば、こういう場にあったという記録になると思って撮っておいた。

(H27. 6. 4 EOS40D撮影)

萱森・依然、蕾のタメトモユリ

2016年04月16日 09時09分40秒 | 自然観察会(番外編)
一週間も経てば不確かなユリの蕾に変化があるだろうと思ってこの日に再訪問した桜井市の大字萱森。

蕾状態は変化がなかった。

何だろうと思って場を離れたときに出合った土地所有者に尋ねる。

自生するそのユリの名は「タメトモユリ」だという。

充てる漢字は為朝百合。

7月初めころに白い花を咲かすユリは葛城・新庄で菊栽培をしている男性は一目見るなりタメトモユリと言ったそうだ。

球根は食用というからおせち料理や茶わん蒸しに入れる「ユリネ」である。

そうだ。

根というか球根は食用になる。

それはユリネ。

おせち料理に欠かせないユリネは鱗弁がいくつも重なっているから子孫繁栄の縁起物。

ユリネで思い出すのはもう一つある。

茶碗蒸しだ。

子供のときに食べていた家の茶碗蒸しには必ずといっていいほどユリネが入っていた。

味はといえばほろ苦い。

子供の口には合わなかった。

調べてみればユリネを食用にしている地域は関西だった。

ユリネの栽培地はほぼ北海道である。

東北を除いて98%も生産をしている大地。

出荷先の消費地に送られる。

その7割~8割が関西なのだ。

京都・大阪が主な消費地であることをあらためて知った。

さらに、調べてみればタメトモユリは別名で、伊豆諸島のみに分布するサクユリだそうだ。

自生しているというタメトモユリは大輪のヤマユリによく似ているが、花弁に赤褐色の斑点はないそうだ。

平坦盆地部では栽培し難いと云われる萱森のユリの実態は一体何なのか。

花が咲いたら確認してみたい。

(H27. 6.11 EOS40D撮影)

萱森の自然景観

2016年04月16日 08時41分36秒 | 自然観察会(番外編)
伝統行事の記録取材に度々訪れる桜井市の東山間。

大字萱森は大字中谷・白木・芹井・小夫嵩方・三谷・小夫・滝倉・笠・和田を含めた上之郷の一つ。

行事の合間に自然の様相も拝見している。

謎だったユリの正体はどうなっているのか、花は咲いたのか、それとも・・・。

着いて見て安堵はするものの、いったい何時になったら蕾が色づくのか・・・。

これはマタタビだ。



6月になれば白い花(雄花)が咲く。

初夏は葉表が真っ白に変化する。



光があたれば白色というよりも銀色のように見える。

ドクダミ科のハンゲショウ(半夏生)と同じ構造の白化。

ハンゲショウは7月初めに変化するがマタタビは6月初めである。

振り返った萱森山間。

平坦では見たこともない大樹のクリの木があった。



白い花は咲いているが、癖のあるクリの匂いはここまで漂っていなかった。

ちなみに樹木にあった2個のキノコ。

シイタケでないような・・・・。

何だろう。



後日、FBトモダチのMさんがキノコの正体を伝えてくださった。

「ヒトクチタケ」である。

(H27. 6. 4 EOS40D撮影)

小綱町ノージンサンのジャ

2016年04月15日 09時11分28秒 | 橿原市へ
6月28日に行われる「すももの荒神さん」の運営も小綱町文化財保存会に移った。



「浴衣まつり」でもあるので役員さんも浴衣姿になると話していた。

記録用に撮った写真に赤いモノが見えた。

なんだろう。気になったら眠りから覚めるので一週間後に再訪した。

その部分を拝見すれば・・・。

赤いモノは「ジャ」の舌ではないだろうか。

藁束を二股にした部位は「ジャ」の頭であろう。

ヨノミの葉で覆われているので手で除けながら光を当てて撮っておいた。

これも記録用として撮っておいた。

ちなみに奈良県教育委員会が記録作成事業報告書に纏めた『大和の野神行事』がある。

昭和59年度から昭和60年度の二年間に亘って調査してきた報告書に「小綱町ノグチサン(ノーグッツアン)」がある。

昭和57年当時に記された史料によれば、野神祭りは座中当屋、神主、総代らによって行われていたとある。



6月4日の当日までに蛇作り材料のモチワラ・縄、天秤棒の青竹を調達して、半紙に牛・農具を描いた。

蛇作りは座の先座、後座の二人が作った。

担いで歩くのもこの二人だ。

4日当日は各農家から昼食時に経費を徴収していた。

昼食を済ませた午後1時は蛇作り、輪作り、御幣作りなどの作業を行う。

午後2時ともなれば、当屋家より野神塚へ向かう。

蛇の参進には作った蛇をオーコで担いで歩いていた。

今では想定できないぐらいにかつての蛇は太かった。

重さがある蛇はヨノミの木の前に置いて納めた。

現在のように巻き付けることはなかった。

そして神主による祈祷・お祓いがあったもようだ。

祭典を終えた午後3時には近所の子供たちにお菓子を配って終わる。

戦前までの子供たちには野神祭の役目があった。

田んぼに生えていた麦の畝の中に隠れていた子供たちは、野神塚へ参進する一向に土や泥を投げつけるなど大暴れしていた。

その行為を避けるために一行は手ぬぐいをほうかぶりして防いでいた。

座の家(当屋であろう)は野神塚から戻ってきたら、作っておいた串団子をあげたという一連の調査報告に時代の変遷を感じる。

(H27. 6.11 EOS40D撮影)

転換する小綱町のノージンサン

2016年04月15日 08時55分07秒 | 橿原市へ
早い年であれば朝7時半かもしれないと聞いたのは平成19年のときだった。

訪れたときにはすでに「ジャ」はトグロのように2代目ヨノミの木に巻きつけられていた。

かつて「座」当屋・神主・総代らで行われていたノージンサンは水利組合に移ったと聞いていた。

昭和55年10月に記された『座当屋年中行事帳』によればノージンサンは野神祭の字が充てられているそうだ。

ノージンサンが行われる場は野神塚(のうじんづか)であることからそう呼ばれたのであろう。

それから8年間も経過した。

仕事や所要が重なりようやく再訪することができた小綱町。

ヨノミの木は垣根の木に遮られて存在も判らなくなっていた。

前年に掛けられたと思える「ジャ」が残っていた。

しかしだ。待てども、待てどもどなたも来られない。

もしかとすれば時間帯が替わったかもしれないと思って野神塚区域に建つ民家を訪ねた。

8年前にも尋ねたN家である。

婦人が出てこられて「今年から自治会運営に移ったようだと聞いている」という。

行事の前にはヨノミの木の下を清掃するなどしていたが今年は見なかったという。

野神塚は公有地。

史跡化する予定で境界指標が立てられたのであった。

状況に変化があったノージンサンはこれが最後の姿になるかもしれないと考えられたので記録用の写真を撮っておいた。

そうして訪れた元総代家。

「すももの荒神さん」行事のときにもお世話になったNさんを訪ねた。



元総代は6年前に辞められたが今でも地域の水利組合長をされている。

小綱町のノージンサンは民俗文化財に指定されていることもあり史跡化する計画があるという。

ヨノミの木の周りを整備し町の文化財として保存することになったと話す。

平成23年5月・小綱町文化財保存会を立ちあげて正蓮寺大日堂や入鹿神社などを整備してきた。

保存会は「いにしえの先祖から引き継いだ貴重な町の文化財を後世に正しく伝承する目的」にあるという。

今年の11月には史跡・整備化が完成する予定の野神塚もその一環にある。

ただ、「ジャ」を巻き付ける行事は水利組合がしていたが、今のところ継承する考えはないようだ。

もしかとすれば神社の注連縄を掛けるときに同じような形でする可能性もあると云われる。

保存会顧問をされているNさんから野神塚の現況を記録してほしいと願われて再び訪れた。



葉が生い茂っている状況ではあるが、なんとか昨年に巻き付けられた「ジャ」を撮っておいた。

(H27. 6. 4 EOS40D撮影)

Starsuiteの一般的なi/oエラー

2016年04月14日 09時49分58秒 | つうしん
昨夜までは何の問題もなく稼動していたStarsuite。

長年使ってきた表計算ソフトに異変が生じた20日。

いつも通りにデータを書き込んで上書き保存する。

そうすると「エラードキュメント起動ファイルの保存の際 一般的なエラー 一般的なi/oエラー」がメッセージされて「ok」を選ばざるを得ない表示が出力した。

「ok」をクリックすれば、書き込まずに「動作を停止してプログラム終了」となる。

何かがおかしくなった。

どのStarsuiteファイルでも同じだ。

Starsuiteは6.0バージョン。

随分昔のXP時代に買ったCD版だがwin8.1でも支障なく動作していた。

平成25年8月23日には「予期しないエラーが発生」したこともあるStarsuite6.0。アンインストール、CD版の再インストールで対応したいが、いろいろ調べてみればStarsuiteはOpenOffice.orgがある。

マイクロソフトオフイスのエクセルを互換性があるファイル識別子はCalc(カルク)だ。

無料ダウンロードができるネットもあった。

散々悩んだ結果は・・・Starsuite6.0のアンインストール、CD版の再インストール対応とした。

インストールは表計算ソフトのみとする。

インストールが始まっていくつかのファイルを置き換えするかどうか確認メッセージが出る。

面倒であるが一つ、一つ対応していたら数えきれないほどある。

100個、200個・・・。

あまりにも多いので諦めてすべて置き換えを選ぶ。

インストールが100%となり、ローカル設定の作成に入った際に出たメッセージ。

「Adabasが次のディレクトリにインストールされています。Ç:Programfilis(x86) Adabas そのため今回Starsuiteが提供するバージョンがインストールされません。Adabas統一についての詳細な情報はStarsuiteヘルプを参照してください」と出た。

「ok」をクリックしたら「インストールは正常に完了しました。完了をクリックするとインストールプログラムが終了します」。

「完了」を押す。

パソコンを再起動して再トライする・・・が、同一現象が派生する。

再インストールでも解決しなかった一般的なi/oエラー。使用できないStarsuiteをアンインストールすればこれまでのデータは見ることもできなくなった。

これはまずい。

過去データは振り返るためにある。

詳細なデータは今後も見る価値があると判断してStarsuiteは再びインストールした。

Starsuite利用のファイルは数種類。

形式を残しつつエクセル表に移行するしかない。

平成25年6月にもStarsuiteのトラブルがあった。

その際に形式をエクセル化したファイルがある。

これをもって継続していくことにした。

二日後の24日のことだ。

平成14年より撮りためたフィルムの撮影データを参照したく開いたら「予期しないエラーが発生しました。変更したファイルはすべて保存されているので次のプログラム起動で復元されるはずです」メッセージが出力した。

「ok」を押せば「動作は停止してプログラムが終了する。

これではどうしようもない。Starsuite6.0は諦めるしかない。

ネットをぐぐって無料のOpenOffice4.1.0をダウンロード・インストールする。

インストールプログラムは表計算のCalcだけにする。

ユーザ名は出力されたそのままにして、すべてのユーザを選択する。

カスタムを選択しCalcを選ぶ。

念のために数式(Mach)も選択しようとしたが一つしか選べられない。

デフォルトは設定せず、セスクトップ上にスタートリンクを作成して完了する。

起動するフアイルは二羽のカモメが飛ぶアイコンだ。

OpenOffice4.1.0が起動されて登録画面が出るので名前を入れる。

アプリケーションの表計算をクリックしたら画面が出力した。

マイクロソフトのOfficeとほとんど同じのエクセルシートが出た。

過去データにある適当なファイルを開く。

数枚のシートを試してみた。

難なく出力する。

上書きが怖いから別名の「オープン」を付与して判るようにしておこう。

保存を選んだら「選択した文書を保持」若しくは「ODF形式で保存」が出力した。

ODF形式でならマイクロソフトのOfficeとの互換性があるようだ。

後々を考えてODF形式を選んで保存する。

そのフアイルを直に選んでクリックすればエラーが出力するが、OpenOffice4.1.0を起動して表計算シートから開けばまったく問題は起こらない。

これで手段が整った。

ストレスはもう発生しないだろう。

(H27. 6.22 記)

ウインドウズ10の予約

2016年04月14日 09時43分20秒 | つうしん
右下にウインドウズの旗マークが出力した。

なにかと思ってクリックすれば7月29日にリリースされるウインドウズ10の予約だった。

使用しているWIN8.1では無料でアップロードが適用されるらしい。

どのような利点があるのか。

操作性は逆転しないのか。

逆に不適合な具合が発生するのか・・。

XP時代から使用しているアプリが使えなくなったら・・・。

また、デバイスも適用していないと想定されることもある。

これが怖いのだ。

一年以内の期間限定アップグレード。

さて、どうするか。

その答えは今年の11月まで待たねばならぬ。

(H27. 6. 2 記)

身代わりゴーヤ

2016年04月13日 09時46分35秒 | 我が家の花
副題は、-命尽きたゴーヤの成長記録-2-、である。

6月30日ともなれば巻きヒゲのツルが出始めた。

それに連れて本葉の枚数も増えていく。

7月7日はぐーんと、伸びたツルが巻きつきたい何かを探している。

本葉が八枚ぐらいになれば大きな鉢に植え替えて支柱を立て固定したいと思っていたが、である。

思いは叶わなかった。

呼吸困難に陥った翌朝の7月11日、緊急入院した。

入院後の10日余りの7月20日頃には育っていたゴーヤが消滅したとかーさんから聞いた。

水やり・手入れもできず、暑さにやられたのか、それとも・・・私の身代わりになったのか。


(H27. 6.30 EOS40D撮影)


(H27. 7. 2 EOS40D撮影)


(H27. 7. 3 EOS40D撮影)


(H27. 7. 4 EOS40D撮影)


(H27. 7. 7 EOS40D撮影)

(H27. 6.30 ~  7. 7 EOS40D撮影)

根付いたユキノシタ

2016年04月13日 09時43分01秒 | 我が家の花
平尾のナワシロジマイを取材させてもらったI家。

山に生えてあったユキノシタの株を分けてくださった。

庭に直接植えたユキノシタは数週間後に芽が伸びだし生き生きとしていた。

5月末ともなれば花を咲かせるだろうと思って楽しんでいた。

ところがだ。ある日のこと、伸びた花軸の先が消えていた。

ナメクジが食べたと思われる花軸に変化がでたのはつい数日前。

ユキノシタ特有の花弁が咲いた。

たった一輪だった。

よくみれば膨らんだ蕾が多くなっていた。

これからの毎日を楽しませてくれる。

(H27. 6. 2 EOS40D撮影)

ハイビスカスの新芽の成長

2016年04月13日 09時32分23秒 | 我が家の花
ゴーヤ鉢付近に置いてあったハイビスカス。

前年の12月に花が終わって伐っていた。

冬越しがよければ再生する可能性もある。

それから半年後の昨日に出だした新芽の葉。

生きていたんだ。

ハイビスカスの成長が楽しみになってきた。

毎日ではないが、できる限り成長過程を記録することにしたが、一か月間だけの記録になってしまった。

ただ、その後も成長し続けたが花の蕾は、この年の12月を越して翌年の1月ももったが、結局は出なかったことを付記しておく。


(H27. 6. 2 EOS40D撮影)


(H27. 6.10 EOS40D撮影)


(H27. 6.12 EOS40D撮影)


(H27. 6.13 EOS40D撮影)


(H27. 6.16 EOS40D撮影)


(H27. 6.18 EOS40D撮影)


(H27. 6.20 EOS40D撮影)


(H27. 6.22 EOS40D撮影)


(H27. 6.23 EOS40D撮影)


(H27. 6.27 EOS40D撮影)


(H27. 6.30 EOS40D撮影)


(H27. 7. 3 EOS40D撮影)

(H27. 6. 2 ~  7. 3 EOS40D撮影)