マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

手造りA弁当①

2016年11月28日 13時18分41秒 | あれこれテイクアウト
下山田の民俗採訪はおよそ2時間。

田植え始まりの在り方や布団干し、旧暦閏年のウル庚申ならびにウル十九夜が行われる場所など、多岐にわたる分野を巡っていた。

午後には他村の行事が待っている。

昼食はどうするか、である。

私はいつものぶっかけうどんが食べたくて針テラスを考えていた。

お値打ち価格に手軽さもあって好んで食べるぶっかけうどんだったが、思いもよらない品物が目の前にある。

家で造ったという弁当がある。

こんなことは初めてだ。

このような取材や自然観察のときに同伴者が持ってこられた弁当盛りの一つ、二つ・・・三つの食べ物を分けてもらったことは多々あるが、一人前の弁当そのものを作ってもってきたというのは初めて。

驚いたのはいうまでもない。

食事処はどうするか。

いつもなら買ってきたパン或はおにぎり、弁当類は車内で食べる。

一人はどこでもいい。

駐車していた場の目と鼻の先にある昭和24年築の旧山田小学校跡にした。

ここは衛生的なトイレもあるし、なんと校舎の外には木製のベンチシートもある。

昼の時間は午後0時30分。

現在は公民館として利用されている校舎の陰が日差しを遮ってくれるベンチに座って食べることにした。

風合いを感じる布に包まれた弁当。

解いてみればそこに弁当があった。

サクラ材、と思ったがじっくり見れば杉材で作られた曲げワッパ。

柾目が美しい。

ワッパで思いだすのは平成19年4月17日に訪れた吉野町山口竜門岳にある嶽神社に登って村の人たちが揃って神さんの前で食べる岳ノボリのときだ。

一人の男性はメンパと呼ばれる弁当箱を開いた。

男性は山で仕事をする職人さん。

先代から継いで今でも使っていると云ったメンパ。

他地方ではワッパの名で呼ばれている弁当箱であるが、先代から継いだメンパは高級品。

一般的なワッパとはまったく違うように思えた。

そんなことを思いだしながら曲げワッパの蓋を開けた。

わっと驚くワッパメシの盛り。

シロメシに煮しめたジャコ。

ほどよい薄味であるが、浸みたご飯が美味しい。

梅干しは酸っぱくもなく、我が家好みの味だ。

おかずは先日、取材した地でもらったというホウレンソウ。

塩胡椒の炒めもの。

これもまた好みの味だ。

朝に作った子どもたちと同じおかず群団。

食べてしまってからでは思いだせないものもあるが、パプリカ、厚めの豚バラ肉、イカ天だったか・・・。

玉子焼きも入ってこれいくら、なんて野暮なことは口にしない。

詰めただけだという弁当はパクパクモリモリ。

コンビニやスーパーで売っている弁当よりも遙かに美味いと思った手造りA弁当。

ご馳走ひとときの時間を過ごして出発する。

(H28. 5. 5 SB932SH撮影)


セブンイレブン明日香川原店おむすび100円キャンペーン

2016年11月28日 09時57分23秒 | あれこれテイクアウト
午後1時どころか2時前。

食事する間もなくずっと苗代作業を撮らせてもらっていた。

ようやく終えての食事はどうするか。

帰路にあるどこかの食事処も考えていたが、すぐ近くにあったセブンイレブン明日香川原店。

「おにぎり 寿司 税込100円」のキャンペーンPOPに釣られて入店する。

なんでもいいのだが、やはり目移りしてしまうおにぎり選び。

寿司のほうにはお呼びがかからなかった。

手に取ったのはカツ丼のおにぎりに半熟煮玉子おにぎりだ。

正式な品名は「おにぎった!かつ丼」。

180円のおむすびおにぎり。

品名がだぶっているやないかと云われそうだが、そう思ったまで。

このおむすびが30円引きの150円。

お得である。

もう一品は140円の「とんこつラーメン御飯マヨネーズ入り半熟煮玉子」。

これは40円引きの100円だった。

お買い得はまだある。



できたてアツアツの「とり天」。

1本が10円引きの88円だ。

商品三つで418円の税抜き価格がキャンペーンで80円の値引き。

すべてが税込み価格で合計が338円。

美味しくいただいてお口もお腹も大満足。

しかも懐具合も優しいありがたいキャンペーンに顔が緩む。

レンジで1分ほどチンすればもっと美味しくなるようだが、旨みはどうなんだろうか。

もっぺんあったら絶対に買うね。

(H28. 5. 3 SB932SH撮影)

二階堂南菅田の苗代イロバナ

2016年11月27日 09時36分22秒 | 天理市へ
天理からの帰り道は二通り。

嘉幡橋北詰信号から国道を北上するか、さらに西へ大和川沿いに走るか、である。

毎度、適当に判断して北、西、いずれか。

この日は西進を選んだ。

川沿いの車道を走って天理市の二階堂南菅田町と川西町の下永の境界近くを走る農道を突っ走る。

突っ走ると云っても速度は低速運転。

すれ違う車を交わすに「待つ」を選ぶ。

止まっておれば相手がぶつかってきたら相手が起こした100%事故。

損害保険の交渉はこっちの勝ち。

どこであろうが、ちょっと待つのは安全運転のクセである。

この道を北上すれば三叉路にぶつかる。

もちろん一旦停止の場である。

そこで止まって左右を確認。

えっ、ここに・・こんなところにイロバナが・・・あった。

そう。その場は苗代仕立て。

前日から降りだした雨は止まない。

この日のこの時間帯も降っていた。

雨降りの状況で苗代作りはあり得ない。

おそらくは8日の日曜にされたとするのが妥当な線。

雨が降っていたおかげもあるのか、イロバナは生き生きとしていた。

イロバナ以外に何かがあるかも知れないと思って探ってみるが、なにもない。

お札があればいいのにと思うが、ない。

イロバナだけなのだ。



この場は天理市二階堂南菅田の領地内。

田園広がる地に田主を見つけることは難しい。

何度となくこの道を走るが人の姿は皆目見ない。

見ないが住居はどこだか判る。

まずは、その辺りでトラクターなど格納した農小屋を探してみたい。

(H28. 5.10 SB932SH撮影)

リハビリに良好反応

2016年11月26日 10時26分05秒 | むびょうそくさい
毎週でかける心臓リハビリ運動。

病院の受付に翌週日程の予約をとる。

念のためにと思って翌々週もとるようにしてきた。

が、である。

満席でとれなかったことがある。

それが前々週。

8人で予約が満杯。

リハビリを要する患者さんが増えたということだろう。

実は前週は予約ができていた。

ところが、である。

5月17日の午前中の診察時間が伸びに伸びて終わった時間はリハビリ運用の予約時間を過ぎていた。

若干の遅れであれば途中参加も考えたが、すでに終わって次の時間帯の予約組に入っていた。

残念なことであるが、仕方がない。

こうした事情があって3週間ぶりのリハビリ運動であるが、懸念される日々が続いていた。

17日までは順調な仕上がり具合の脈拍数になっていた。

ところが、翌日からはどこかがおかしい。

起床・朝食後に計測する脈拍が元の木阿弥状態に陥っていた。

それまでは50拍をクリアーする日々だった。

ところがその日からは急転直下。

40拍前後の脈拍になったのだ。

昨日は38拍に落ち込んだ。

気分も落ち込むが、なんせ私の心臓はダブルスタンダード。

安静状態に動くペースメーカーに稼動するペースメーカー。

状況に応じてどちらかが発信する。

17日までは安静状態向けのペースメーカーは稼働するペースメーカーに刺激されて拍数は上昇傾向にあった。

気まぐれな安静状態向けのペースメーカーが復活してしまった。

そういうことである。

心臓リハビリの受ける日は始まる前と終わってからの状況を記録するためにプリントできる血圧計で測る。

この日もそうしたら血圧は137-70で脈拍は54拍だ。

昨日までの拍数と違うのだ。

まさか、と思うが、気分は上々だ。

そして、リハビリ運動。

運動する身体の状況を掴むために携帯型の心電図機器を身体に装着する。

なにもしていないからいわば安静状態。

そのときの脈拍は50-52拍。

頬が緩む。

いつもの通りの準備体操からスクワット運動。

そのときの脈拍は52-53拍。

スクワット方法が変われば心臓も動きが変わる。

脈拍は54-56拍。

もう一つ代わって50-51拍。

気持ちが良いくらいの脈拍数である。

そして始まった自転車のペダル漕ぎ運動。

初起動から55ワークに設定してスタートする。

最初の1分間は慣らし運転のワーク10。

そのときの血圧は119-64。

脈拍は54拍だ。

ワークの切り替えはシステムが設定した通りに自動的。

ぐぐぐ、と圧力が一挙に上がってワークは55。

平均的速度が60回転数前後になるようにペダルを漕ぐ。

10分後の血圧は155-63。

脈拍は63拍だ。

そのころから汗が滲むようになってきたが冷房が利いているおかげで汗は流れない。

漕いでいる時間が伸びてくれば心臓は刺激を受けて脈拍が若干上がって63-65拍。

実に調子がよろしい。

リハビリ療法士が状況を記録しながら最近の活動状況がどんなものか聞かれる。

聞かれたら答える。

普通におしゃべりをしている感覚であるが、ちっともしんどくはない。

26分間の運動を終えても快適なのだ。

この調子が続いてくれればいいのだが・・・・。

そう、思って終わってからの血圧を測る。

血圧は150-82。

始まる前よりも若干高い。

高いのは血圧だけでなく脈拍もだ。

出力したプリントシートみれば57拍。

思わず、やったーと心の中で叫んだ。

(H28. 5.31 SB932SH撮影)

喜びは束の間

2016年11月26日 10時10分55秒 | むびょうそくさい
この日は一カ月ぶりの循環器内科の診察日。

もしかとすればこの日も受診待ち時間が長いかも知れないと思って外来棟に着く前に立ち寄ったスーパー。

前回は地元のスーパートライアルでパンを買ってもっていった。

朝が早いからパンの品数が少なかった。

選ぶどころか、それしかない、という数量だった。

それならと思って買い物処は外来棟すぐ近くにあるプライスカット天理店にした。

同店ではメーカー製のパンしか売っていない。

それならば弁当でもいい。

手軽に食べられる巻寿司、稲荷寿司が良いだろうと思って品定め。

目がいったのは税抜き281円の玉子たっぷり寿司セットだ。

何年か前にも食べたことがあるような、ないような・・・。

不味くはなかったし、値段も手ごろなので、これに決めた。

プライスカット店から車で数百メートル。

ぐるっと回って駐車場に。

外来棟の駐車場は棟玄関口よりも奥にある。

玄関口に停められる車は限定されている。

奈良交通バスの巡回バスや病院の送迎用バス、タクシーに介護を要する人を玄関前で乗り降りする車に限られる。

介護を要しない車は奥の駐車場に誘導される。

誘導するのは警備の人たち。

進入路手前の道路上で停止の要請が指示される。

指示された車はそこで順番待ち。

道路上であるのは仕方がない。

私も指示に従って待っていた。

道路はニ車線だが幅は広い。

待っている車線は一車線。

歩道側に寄せて待つ。

右窓側に進行してきた車がある。

警備に問われて一旦停止。

口からなにやら伝えて左折れで進入する。

玄関口に停めて介護の人を下ろす。

車いすで介助する人が多い。

そんな光景を見て家族の人たちが送り迎えするのもたいへんなことだと思うのだ。

そういう車を見ていたら、おかしなことに気づいた。

玄関口で一旦は停まりかけてすぐに発信する車がある。

その車は間違ったのか右折れして出口から出て行くと思っていた。

もちろんそういう車もあることは知っている。

ところがだ。

私が見たクリーム色の軽自動車は左折れして奥の駐車場に走っていくではないか。

もう一台もそうしている。

車体は後ろにタイヤゾーンをもつRV型の乗用車だ。

赤い車だから目立っていた。

警備をしていた男性に目撃したことを伝えた。

おかしいのでは、と。

じつはそういう車がときおりあると云う。

つまりは警備の人を騙して駐車場へ向かうのである。

そういうことが発生するのは駐車場が満杯で待つ時間が長くなる場合だと思ったのだ。

待ち時間に待ちきれない人はここの事情をよく知る人であろう。

警備員に指示されて奥の駐車場に向けて走ったら、その赤い車が停止していた。

右手を走る車は駐車場を出た車だ。

満車であれば退出の車がゲートを抜けるまでは入庫はできない。

一台、一台の動き。

つまりゲートの開閉を持って入庫が動く。

退出の車がなければ待つ、しかないのである。

この日はまだ車に流れがあった。

前週はほとんど進まずにゲート待ちに20分間もかかった。

この女性が運転する赤い車の前のクリーム色の軽自動車も入庫していく。

ゲート前にも警備員がおられたので、その2台のことを伝えた。

申しわけないですとお詫びを入れられても、騙した人間は走り去る。

こういう行為はどの場で見つけるか、である。

そう、玄関口や奥の駐車場に誘導する警備の人でなければならない。

目撃すれば直ちに注意をする。

当然でしょうと云いたい。

若干の遅延になりかけたがジャスト時間で総合受付を済ませて血液検査のフロアーに向かう。

エレベーターを登り切ったところに見慣れた職員がいる。

前年の7月から8月半ばまで入院していたときにお世話になっていた介護士のKさんだ。

私の顔を見るなり目が大きくなった。

「その節はお世話になって・・・」と云いかけたら彼女が云った。

「顔はスッキリ。身体つきもすっかりスマートになられて・・」と云う。

男前になったとは云わなかったが、「健康的で、爽やかですね」と云ってくれた。

散髪したてに髭剃りもしていたこの日の顔。

入院中は髪の毛はぼさぼさの髭は伸び放題。

えらい違いである。

女性であれば化粧もするので見栄えはぐんと差がある。

目がパチクリするようだ、という彼女と出合ったのは退院してから9ケ月後である。

なんとなく痩せて見えるし表情も明るい。

そう思って伝えたら「彼氏ができたんです」と満面の笑顔で答える。

やっぱり、である。

恋した女性は姿かたちが一変する。

「おめでとう、永くおつきあいをしてください」と云って別れた。

この日の検査は血液検査と心電図検査だ。

前月の診断結果もあるが、感じられる身体的な状態は概ね良好である。

この日は心電図検査の待ち時間も長かった。

いつもならすぐに呼び出しがあるが、この日は15分待ちだった。

それはともかく3分間の心拍状態がグラフに描かれる。

検査結果の一部は印刷されて主治医に送られる。

送るのは電信もあるがリストもある。

見ることは憚れると思ってこれまでの検査では見ることもなかった。

今回は、何が書いているのだろうかと思って拝見した。

それにはグラフのデータ数値だけだ。

グラフは心電図そのもの。

P波は判り難いが不整脈はまったく見られないことだけは読める。

そのリストに書いてあった心拍数は40bpm。

えっ、である。

血圧、脈拍は毎朝の計測で認知している。

5月に入ってからの状態は徐々に上昇兆しが見えていた。

1日は44拍。

2日は40拍。

3日は44拍、4日も44拍。

5日は40拍。

6日は下がって39拍。

微妙な脈拍数値で上がったり下がったりの繰り返し。

7日は47拍。

8日は48拍。

9日は43泊。

10日は50拍。

11日は49泊。

12日は45拍。

13日は49泊。

14日は48拍。

15日は49泊。

16日は47拍。

この日の17日の朝は43泊だった。

明らかに上昇している傾向にあることに歓びを感じていた。

心電図計測は誤り。

そう信じたいが、それが事実に違いない。

いっときの状態であればいいのだが、と思いつつ循環器内科の診察を待つ。

1時26分、待合室で測った血圧・脈拍測定は139-78に48拍だ。

やはり、と思いたいが、これも一時的であるかも知れない。

3室ある診察室前に待っている患者さんは多い。

はみだす人もいるようだ。

呼び出す動きがほとんど見られない。

診察が終わった患者さんは次の検査・診察日が伝えられる。

その時間も待ち時間。

長く感じる。

このままいけば、前回同様に昼飯を食べ逃す可能性があると判断して食事を摂ることにした。

食事場所はフロアーごとにある四人掛けの待合テーブル。

たいがいは埋まっている。

場所を求めて移動する。

何故か隠れて食べようとする自分がおかしい。

逸る心を押さえながら蓋を開けるプライスカット製の玉子たっぷり寿司セット。



食品表示にナトリウム値がある。

Na1828mgだから、塩分含有量は凡そであるが4.6gもある。

買うときに見逃した塩分量に目を瞑っていただきます、だ。

この弁当の製造者は和歌山県岩出市の藤本食品。

近畿圏のオークワマーケットに配送している。

味は不味くもない一般的な味。

もう少しの酢飯で格段の変化があるだろうと思った。

添えていた醤油で補ってしまったが、これも失敗。

塩分増量に陥ってしまった。

診察呼び出しに不在してしまったら迷惑をかける。

そう思って急ぎ足で食べたのだから味わうところまでいかなかった。

それはともかく待合室で待つこと、大幅に超過する。

午後の1時35分。

待っていた私に声をかけた受付の職員。

別室への移動を促して案内する。

そこは循環器内科診察室の裏側。

血液検査診察室の待合室だった。

この場に待つ人は十数人。

移動した患者さんも何人かが待っている。

それから待つこと1時間。

医師から直接のお声があったのは午後2時40分だった。

身体の状態はと云われる問診に対して「動きはいいです。身体が軽くてしんどさもありません」と伝えた。

とは云ってもこの日の心電図検査では不整脈はないものの脈拍は40拍だ。

そこで取り出した健康日誌。

毎日測定していた脈拍の数値をみていただく。

前述した拍数状態を伝えた医師の声は「ペースメーカー不要」。

3月の診断で心臓ペースメーカーの埋設はしないと決断された。

その決断で良かったのである。

間違ってもあのときに埋める決断をしていたら・・・と思うと身震いする。

ペースメーカーの方向の話しがでてから毎週の心臓リハビリをしてきて良かったのである。

前週のリナビリ室でK循環器医師が云った。

「ペースメーカーの世話にならなくてよかった」ことを伝えられていた。

この日は主治医のI循環器内科医師も正式に伝えてくれたこの日は歓びの日でもある。

この日は17日。観音さんの縁日でもある。

天の神さんもともに喜んでいてくれると思う。

それは良し、として血液検査の結果である。

ヘモグロビン値は13.3。

前回4月の計測値は13.8だから微妙な値に下がったのである。

3月は12.3。

下がれば服用薬の増量が考えられるが、持病の内痔出血は止まっている。

大量に出血があれば問題であるが、それぐらいの変動量であればほぼ基準値内。

朝、晩に一錠ずつ服用していたフェログラデュメットの量を半分にしようということになった。

ただ、一か月後の結果によっては復活するかも知れない。

もう一つはBNPである。

1月の診察時では496.1。

2月の状況は約半分の253.1。

3月は大きく下回って二桁台の87.4。

4月は68.4。

この日は76.4。

4月よりも若干に戻った上がり具合。

微妙な値に医師は慎重に判断する。

BNPの標準基準値は18.4以下。

これ以上、というか大幅な改善を見れらないのが辛い。

前回、4月のPT-INRの値は1.32だった。

この日の値は1.23。

標準基準値の1.5から遠ざかる。

数値が下がれば凝固しやすい方向になる。

逆に上がれば血液サラサラで流れやすくなる。

とは云っても流れ過ぎてもよくない。

万が一、出血すれば血が止まらなくなる。

微妙なところである。

1.5に近づいてほしいと願うばかりであるが、心むなしくワーファリン錠は増量の決定が下った。

これまでは2.5m錠であった。

0.5錠増やして1錠が3個。

血液の凝固を抑制、防止を止めるわけにはいかないということだ。

私の診察を終えた医師はまだまだ患者さんがいる。

休憩もなくずっと診察にあたられていた医師は昼食も摂れない。

ご苦労さまですと頭を下げて診察室を出た。

午後3時17分。

診察を終えて計測した血圧は142-66。

脈拍は39拍に落ちていた。

なにかの間違いではと思ったが、ふらふらする状況に落ち込んだ。

そういえば、前月の4月18日のK医師が云った二重人格をもった心臓である。

医師はその言葉を使わなかったが、こういった。

「体内に二つの心臓発信器がある」である。

私自身がそうしているわけでもなく体内で勝手に動いているから自覚症状はない。

自覚しない私のペースメーカーが二つある。

運動をすれば脈拍が上がって50拍以上。

安静状態であれば脈拍は40拍ちょっと。

この日の心電図検査は低い方のペースメーカーが発信しているということになると思われた。

この日の午後は心臓リハビリ運動。

予約していた時間は午後1時半から2時半までだった。

循環器内科の診察が終わったのは午後3時15分。

リハビリ運動はとうに終わって次の組のリハビリに移っていた。

時間が過ぎていたお詫びを伝えたくて立ち寄った。

受付の人が驚く顔で見る。

何かがあったのかと思っていたようだ。

この状況ではリハビリ運動をする気が起こらない。

心が入らないのでやむなくキャンセル扱い。

そのことはGリハビリ療法士にも伝えた。

その方がいいと笑顔で受けてくれた。

そして、もう一度測った血圧は134-71。

脈拍は49拍に戻っていた。

戻っていたのが正しいのか、さきほどの値が正しいのか・・・。

二重人格ペースメーカーに心が揺れ動く。

この日は会計も時間がかかった。

1648番の番号札を受け取ったのは午後3時30分。

このときに表示している済み番号は1540番。

ほぼ百人待ちだ。

長く滞在した外来棟。

駐車時間は午前10時23分から午後4時8分。

駐車料金は2時間で100円なので合計が300円。

安いと云えば安い料金体系が嬉しい。

そして、気になる翌日の脈拍である。

翌朝に計測した脈拍は40拍。

数時間後に徒歩運動で戻った直後の脈拍は42泊。

たったの2拍しか上昇していない。

愕然とする脈拍は翌日の19日も、だ。

朝は41拍に、数日前までの状態は一体何だったんだと思ってしまう。

喜びは束の間にすぎない。

(H28. 5.17 SB932SH撮影)

経過良好

2016年11月26日 10時03分08秒 | むびょうそくさい
ここんところは実に調子が良い。

良いのは血圧もそうだし、脈拍もだ。

稀に40前後の起床時脈拍もあるが、連続性は見られない。

忘れたころにやってくる、というような感じだ。

毎日、計測しておれば体調もよく判る。

しんどさはまったく感じないほぼ二週間。

県内各地の民俗取材に奔していたが疲れはなかった。

脈拍低下も見られなかった。

連休中は通院している病院も休みだ。

毎週、毎週のリハビリ運動は欠かせないが、すっかり忘れていたぐらいに呆けていた。

ちょっとは、と思った日があった。

喉がいがらい状態になったこともある。

医者には行きたいが休みでは・・・と思って薬剤入りトローチで済ませた。

4、5日服用したら腫れた喉の具合も良くなった。

そんな日々があって二週間ぶりの心臓リハビリ運動に向かった外来棟。

診断が始まる30分前に着くよう家を出る。

駐車場に入るにはゲートが上がらなければ入れない。

この日はゲート前に5台もの車が待っていた。

いつもならほぼ待つことなく順番にゲートをくぐる。

ところが。この日はまったく前へ進まない。

到着した時間帯は午後1時2分。

待てど、暮らせど動かない。

一台の車が駐車場から下りてきた。

ゲート前で一旦停止。

カードを挿入して料金を支払う。

それで退場のゲートが開く。

そうすれば入場のボタンを押したら駐車カードが出てゲートが上がる。

そう。

駐車場は満車なのだ。



そう、思った。待って、待って、待ってでやっとのこさ入場した時間帯は午後1時20分。

焦る気持ちを押さえて屋上まで行ってしまった。

そう。

空いている場はそこだった。

その付近を見渡せば数台の空きスペースがある。

余裕を見越した満車ゲートシステムなのであろうと思った。

リハビリ運動の開始時間は午後1時半。

それまでに受付や血圧・脈拍測定に問診も済ませなければならない。

焦りは禁物だが気持ちはやはり。

測った血圧は144-81。

脈拍は61拍だ。

こんなことは初めてだ。

外来棟に来た直後の脈拍は60拍を超えることがなかっただけに歓びを感じる。

さて、いつものリハビリ運動だ。

始めの準備運動時の脈拍は52-53拍。

さきほど計測したのはやはり焦りがでていたのだ。

スクワット運動段階の脈拍は59-61拍。

終われば52-54拍。

順調な脈拍値に心が躍る。

この日のリハビリ運動は自転車のペダル漕ぎ。

ワークを40に設定してスタートする。

回転数は58-60ぐらいでペダルを漕ぐ。

血圧は130-63で脈拍は55拍だ。

これまでと心もち比較しての話しだが、しんどさもないに身も心も軽い状況を伝えてワークを50に引き上げられた。

いつものことであるが、脈拍がこれまでにない上がり方がった。

つまり反応が早いというか、

外来棟に来たときからほど良い値なのである。

ワークが50になればどうなるか。

回転数は同じように60前後を維持する。

血圧は138-68、脈拍は65拍。

季節と雨天の関係もあるが汗が滲む。

不整脈もなくくっきり出るP波の状態に嬉しさがこみ上げる。

K循環器医師が云った。

「ペースメーカーの世話にならなくてよかった」である。

あのときの決断を誤っていたらこうなることはなかった。

そういう嬉しさもある。

負担感もなく終えて胸躍って測った血圧は124-73、脈拍は56拍である。

十分な拍数に経過は良好だ。

(H28. 5.10 SB932SH撮影)

榛原萩原小鹿野の苗代のごーさん札

2016年11月25日 18時41分11秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
野依、平尾、篠楽から一挙に帰路。

そう思っていたが民俗探訪に途中下車はいくらでもある。

もしかとすれば変化があるかも知れないと思って立ち寄った地は榛原萩原の小鹿野(おがの)。

前月の4月15日に訪れたときは苗代作りを終えた場に竹に挟んだごーさん札が立ててあった。

そこにはイロバナも添えていた。

あれから3週間も経過すれば田植えも終わっている。

終わってはいるがお札はどうしているか、である。

たしかに田植えは終わっていた。

植えた苗はまだ分化もしていない。

つい最近のような植え付け方である。

お札はどこにあるのか。



ここにあった。

トタンの波板で囲っている田んぼ。

その周りも囲ってもう一枚の波板の間にあったお札。

それにしても初めてみる波板は二枚。

その空間はどのような目的をもって立てているのだろうか。

(H28. 5. 8 EOS40D撮影)

榛原篠楽新暦閏の庚申さん

2016年11月24日 09時25分13秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
トイレを借用していたコンビニエンスストア。

駐車場から車が走る道を見ていた写真家Kは声をあげた。

向こう側に建つ祠に何かがあるという。

眺めてみたらすぐに判った。

一本の木が祠の中にある。

それも斜めに立てかけている。

上の方には杉の葉っぱらしきものが見える。

その形は紛れもなく旧暦閏年に奉られる庚申さん。

ここは年に何度か通る道。

祠があるから地蔵尊では・・と思っていた。

立ち止って観ることもなかったから、そう思っていたが、違った。

庚申さんである。

近寄って杉の木の棒を見る。

それには「(梵字;奉) 五穀豊穣(護)村内講中 家内安全 上中 平成二十八年三月二十七日 □□□□ ○○○○」の文字が書いてあった。

□□□□、○○○○はおそらく願主名。

当番の人の名であるかも知れない。

庚申さんが建つ辺りに旧家がある。

もし、おられたら何であるのか聞いて見ようと思って足を運ぶ。

呼び鈴を押したら屋内から婦人が出てこられた。

話しによれば庚申さんの祭りごとがあったという。

当地に嫁いで60年。

80歳になるⅠ婦人が云うには、当地篠楽(ささがく)は上垣内、中垣内に道路東側にある下垣内の3垣内。

ここの庚申さんは上・中垣内の庚申講が守っている。

いつからか判らないが旧暦閏年にしていた庚申さんは新暦になったそうだ。

杉の木であろうと思ったが、そうではなくヒノキで作った塔婆だった。

その日の庚申さんに般若心経を唱えるらしい。

下垣内にもあるという庚申さんは大字柳にもあると云う。

その場は国道沿いというからもしかとすれば榛原角柄であるかもしれない。

これら地区ではおそらく新暦閏年。

オリンピック開催の年だから東京オリンピックの年。

忘れずに記録しておこう。

それはともかく篠楽の上垣内には霊験あらたかな地蔵さんがあるという。

ここより北へ行く。

村落を登った処にあるらしいが時間切れで断念したが、8月24日に地蔵さんの祭りをしているというからいずれは取材したいものだ。

(H28. 5. 8 EOS40D撮影)

平尾の天然ウド

2016年11月23日 09時25分04秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
野依を訪れたこともあって隣村の平尾を通り過ぎるわけにはいかない。

平成26年、「第4回 私がとらえた大和の民俗―食―」の写真展に平尾の在住のⅠ家が保有する唐箕を紹介させてもらった。

唐箕は脇役。

主役はモンペ姿の奥さんである。

笑顔が素敵な奥さんを撮らせてもらった一枚の写真。

その姿を載せた図録は奈良県立民俗博物館で販売している。

昨年はわが身の心臓病もあって訪れることはできなかった。

久しくお会いしていなかったⅠ家を訪ねたらお二人揃っておられた。

「あのときのお礼もできなくて・・・」と云われるが、こちらこそ、である。

今は家の目の前にある山野草がいっぱいある。

「いまから引いてやるからまっとき・・」と云われて自然に生えているウドを引いてくれた。

袋いっぱいに詰めてくれたウドの葉っぱ部分は天ぷら。

家で作った料理はかーさんがした。

これが美味いのってなんのって。

茎の部分は皮を剥いで水にさらす。

水から揚げるとすぐさま口にしないと真っ黒けになる。

それになる前に食べる茎は辛子酢味噌がイチバン美味しいかと思う。

I家の自然の畑には三つ葉がいっぱいある。

目立つ大きな葉っぱもある三つ葉。

もちろん標準サイズの葉もある。

それがどうであれ「三つ葉の葉が出たら巻き寿司を作らなと思うのです」と云う婦人。

その話しを聞いていた写真家Kはきょとんとしていた。

どうやら三つ葉に巻き寿司は馴染みがないそうだ。

私なんぞは巻き寿司に三つ葉が入っていないのは巻き寿司ではないと未だに思っているぐらいだ。

スーパーなどで売っている巻き寿司を見たことがあるかい。

三つ葉が入ってないんだよね。

ところでここにはもう一つの自然がある。

ハタケワサビである。

白い花の咲く時期をとうに過ぎていた。

これだけはやられないという。

やはり・・・である。

(H28. 5. 8 SB932SH撮影)

野依の甘茶接待灌仏会

2016年11月22日 07時44分45秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
甘茶の原料は宇陀市大宇陀上中、通称松山街道にある和漢生薬研究所の平五薬局で買った極上の国産甘茶。

買ったのは昨年。

袋から取り出してアマチャに使ったのは1/4程度だったそうだ。

この日も総量の1/4を取り出した甘茶でアマチャを煮だした。

村人が参拝にくるのは午後であるが、アマチャを作っていたのは午前10時。

甘茶の葉を袋から取り出して水に浸ける。

しばらくそうして11時に沸騰させて煮つめる。

そうしたらすぐにでも茶葉をあげる。

15分ぐらいグツグツ煮れば色が出る。

水量1リットルに対して茶葉は3グラムぐらいの量。

苦みのある甘さになった。

そう話してくれた野依(のより)の大頭と小頭は昨年の10月1日に行われた頭家座で決まった。

男の神さんに女の神さんは籤で決まる。

お伊勢さんに参って授かったお札の端っこ。

これをケンサキと呼ぶ。

三方に載せた氏子名を記した丸めの紙片に近づけると不思議とあがってくる。

そのアタリは次の年の大頭と小頭を勤める人。

つまりはこの日の灌仏会に務めている大頭と小頭はもひとつ前の年に決まった人だ。

天上天下唯我独尊の姿で立つ釈迦誕生仏を花御堂に納める。

屋根にはその日に摘んだ花で飾る。

レンゲはほんの僅かだった。

仕方なくといえばアレであるが、家の周りに咲いているツツジやツルニチニチソウを選んだ。

赤や紫に白色では足らないと思って野に咲くキンポウゲで黄色の花も盛った。

本来ならレンゲやスミレに菜の花などで飾るがその年の咲き具合でそうするらしい。

この月の5日は奈良県の無形民俗文化財に指定されている「節句オンダ」行事があった。

村の豊作を願う予祝行事に所作をするのはオジイとも呼ばれる田主役が大頭。

ケンズイのときに登場するオバア役は小頭。

これを野依では男の神さん、女の神さんと呼んでいる。

この日は打って変わって作法も動きもない灌仏会。



参拝者は村の人。

稀には聞きつけた客人も訪ねる。

桶に溜めているアマチャを柄杓で掬って頭から釈迦さんにかけてやる。

手を合わせる。

それが作法の灌仏会は花まつりの呼び名もある。

他村ではその名で呼ぶこともなく単にアマチャと呼ぶ処もある。



手を合わせたらアマチャの接待。

湯飲み茶わんに入れてもらって口にする。

口に含んだアマチャの甘味を感じるのは舌ではなく喉。

じんわりと甘さが喉の奥で感じる自然な甘さだった。

いつも先生と呼ばれている昭和5年生まれのTさんは座敷に上がって仏さんに向かって般若心経。



それだけではなくご本尊である十一面観世音立像に向かって観音経最後に唱える。

宇陀西国三十三ケ所 第二十九番 大和国宇陀郡 大念仏衆 野依仏母寺 十一面観世音の御詠歌は「はなくさの よりて たをりて みほとけの ははと てらへと いざや たむけん」。

額に入れた色紙にそう書いてある。

ちなみにこの日も開帳された観音さん。

野依には1月、5月、9月にお勤めをしている観音講の営みに開帳される。

アマチャをかけたお釈迦さんは二代目。

身長が伸びたらしく、以前の誕生仏像よりも1.5倍以上の高さになった。

背が伸びれば花御堂の庇(ひさし)に柄杓があたる。

そろりそろり天井に接触しないようにアマチャをかけたお釈迦さん。

一方の手で天、もう一方で地を指すお姿である。

お釈迦さんが誕生したときに、七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」といった姿に手を合す。

何人かが参拝にやってきては作法する。

花御堂の前に座ってひとときを過ごしていた。

ちなみに野依の白山神社は平成21年にゾーク(造営事業)があったそうだ。

曳綱に生鯛を吊るしていたかどうかは判らないが、頭屋家で搗いた大量のモチ御供は「宝船」と呼ぶ船型の運搬車に積んで村内を巡行し神社に向かったそうだ。

ここにも曳綱に生鯛や宝船があったことを付記しておく。

(H28. 5. 8 EOS40D撮影)