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小説 囚われた男(16)

2006-12-11 14:04:03 | 小説
その時、ゆっくりと動く吉岡の車が見えた。信号を見ると、吉岡の進行方向は黄色になっているすぐに赤に変わったが、吉岡は強引に突っ込んでいく。
 それを見た生実も右サイドミラーに目をやると、車で詰まっている。先頭の車はまだ発進していない。かろうじて通れる隙間が左側にあったので、アクセルを思いっきり踏み込んだ。後輪が空転したがタイヤのブロックがアスファルトを難なく掴み前方に躍り出た。
 右側の車をこすりつけて、二台の車に傷を負わせた。二台の車は激しいクラクションをたたきつけ、ドライバーが出てきた。そのときすでに生実の車は、交差点に突っ込み吉岡に向かって突進していた。
 運転席の吉岡はこちらを向いた。生実のパジェロは咆哮を上げながら一直線にBMWに激突して乗り越え、横転しながら横断歩道まで滑っていった。生実は確実にとらえたと思った。
 激突の瞬間、吉岡の恐怖の表情とすさまじい音とともに、赤いペンキをぶちまけたようにBMWの中は真っ赤に染まった。やつは死んだ。生実の意識が遠のき始めたが、その口元はにんまりとしていた。

10

 幸子が険しい顔でこちらを見ていた。両手で二人の子供の手を引いていた。子供は無表情だった。
「なんてことをしたの? 人が死ぬのは私たちで十分よ。私はうれしくなんてないわ。悲しい気持ちよ! あなたの正義感ぶったところも嫌いよ。だから男が嫌いなの」生実は声が出なかった。
「ちょっと待ってくれよ。君に携帯で電話しよう思ったけど、つながらなかったんだ。前もって相談したいと思ってさ」こんな冗談も誰も笑っちゃくれないしな。と考えているうちに幸子はふっといなくなった。
              
 誰かが呼んでいる。俺の名前を呼んでいる。だんだんと周囲が見えてきた。最初に見えたのは、白衣を着た看護婦だった。ほっそりしているが尻の大きい中年の看護婦だった。冗談の一つも言いたくなる気分だった。次に見えてきたのは、男だ。たぶん担当医だろう。
「気が付きましたか。気分はどうです?」
「ええ、なんとか、少し頭がボーっとしてますが」と生実。
「そうでしょう。すべての検査が終りました。頭や内臓には異常はないようです。あれだけの事故ですから、どこかに痛みは出るでしょうが、時間の問題です。すぐ元に戻るでしょう。ということで、あとしばらくで退院していただいて結構です。そのときは築地署の警官が迎えに来ます。お知らせしますから、ゆっくりしていてください。なにか必要なものや聞きたいことは大田看護婦におっしゃってください」これだけ言うと振り向いてドアに向かった。
 生実は、その背中に「お世話になりました」というのが精一杯だった。看護婦の名札には間違いなく大田と書かれてあった。その名札を止めてある胸は平凡だった。
 
コメント
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