早熟な13歳の子供登の眼を通した、大人の世界に対する反逆と断罪を、性と死による描写が印象的だ。
13歳という年頃の男の子は、反抗的、否定的に加え残虐性も併せ持っている。それは、多くの大人が体験してきたことだ。しかし、登のブループは度を越している。
この年代は性について興味を持ち始める頃だ。登はふとしたことから隣の母の部屋が覗ける場所を発見する。そして見たものは、本から引用すると“母が眠る前に、まだ寝苦しいほどの暑さでないのに、一度すっかり裸になる癖があるのを知った。
まだ三十三歳の母の躰(からだ)は、テニス・クラブに通っているので、華奢ながらよく均整がとれて美しかった。(中略)登は生まれてはじめて女の體(からだ)をこんなに詳(つぶ)さに眺めたのである。
彼女の肩は海岸線のやうになだらかに左右へ下り、頸筋や腕はほのかに日灼けがしていたが、胸もとからは、内側から灯(ひとも)したやうに温かい白さの、薄く膏の乗った(薄く脂肪がある状態)、無染の領域がはじまっていた。
彼女の乳房にいたるなだらかな勾配は、急に傲(おご)った形になって、雙(そう)の手がそれを揉むと、葡萄色の乳首がそむきあった。ひそかに息づいている腹。その妊娠線。それから登は見た、あの黒い領域を”
“登は、自分が天才であること(これは彼の仲間うちみんなの確信だった)。世界はいくつかの單純な記號と決定で出来上がっていること。
人間が生まれるとから、死がしっかりと根を張っていて、われわれはそれに水をやって育てるほかに術(すべ)を知らぬこと、生殖は虚構であり、したがって社会も虚構であること、父親や教師は、父親や教師であるというだけで大罪を犯していること、などを確信していた”
それだけではない。このグループの首領というのが、13歳にしてもういっぱしの理論家気取りで、グループを仕切り手のひらに乗るくらいの仔猫を、コンクリートに叩きつけて殺し、皮を剥いでぴくぴく動く心臓を取り出すことを平気でやってのける、狂っているとしかいえない子供だ。
登の母房子に二等航海士の塚崎龍二と言う恋人が出来た。そして登は、この二人の夜の営みをつぶさに眺める。そして、結婚するまでに発展する。そこから事態が暗転していく。
“塚崎龍二といふ男は、僕たちみんなにとっては大した存在ぢゃなかったが、三號(登のこと)の目に、僕がつねづね言ふ世界の内的關聯(関連)の光輝ある證據(証拠)を見せた、といふ功績がある。
だけど、そのあとで彼は三號を手ひどく裏切った。地上で一番悪いもの、つまり父親になった。これはいけない。はじめから何の役にも立たなかったのよりもずっと悪い。いつもいふやうに、世界は單純な記號と決定で出来上がっている。
龍二は自分では知らなかったかもしれないが、その記號の一つだったらしいのだ。僕たちの義務は分かっているね。ころがり落ちた歯車は、又もとのところへ、無理矢理はめ込まなくちゃいけない。さうしなくちゃ世界の秩序が保てない。僕たちは世界が空っぽだといふことを知っているんだから、大切なのは、その空っぽの秩序をなんとか保っていくことにしかない。僕たちはそのための見張り人だし、そのための執行人なんだからね“と言いながら首領は決断を迫る。龍二を仔猫のように切り刻むことを。
巧妙に誘い出された上、塚崎龍二は“熱からぬ紅茶を、ぞんざいに一息に飲んだ。飲んでから、ひどく苦かったような気がした”
この作品も辞書を片手に読む必要があった。辞書にも載っていないのもあったが。例えば、鞏固(強固)倉卒(忙しく慌しい)檣(しょう、帆柱・マスト)顫音(せんおん、トリル:装飾音に一種、ある音とそれより二度上または下の音とをかわるがわる奏する)渝(かわる)などだ。
この作品は1963年(昭和38年)1月22日起稿、同年5月11日脱稿。バート・ランカスター主演で映画化の話もあったといわれる。米、英、ノルウェイ、スゥエーデン、デンマーク、オランダ、ドイツ、フランス、フィンランド各国で翻訳出版されている。
わたしの浅はかな独断と偏見を、もう一つの感想として恥ずかしげもなく記するとすれば、三島の文体からどうしてもヴァージニア・ウルフを連想してしまう。これが頭から離れない。