主人公は、私立探偵C・W・シュグルー。“モンタナの八月初旬の午後はフィドル奏者の牝犬のような熱気の暑さだった”というよく分からない導入部分で頭をひねりながら、まるで西部劇を見るような狂気のバイオレンスが展開される。
モンタナは太平洋岸のワシントン州の右隣にあり、そのまま目を右に振っていくと五大湖地方に行き当たる。
こういう場面はまさに西部劇だ。“7シリーズのBMWがとまった。スーツとオーバーコートと毛皮の帽子に身をくるんだ大柄の二人の男が車から降り、三インチも積もった湿った雪をゴム製の防水靴で踏みならしてこちらに近づいてきた。手はポケットに突っ込んだままだ。
男の一人はだらしのない口ひげをたくわえ、もう一方は眉毛が一本につながっている。二人は階段の下で立ち止まったが、挨拶に時間を費やすことはなかった。口ひげが吠えた。
「ラリーズ・グルベンコに会ったことがあるか?」私(シュグルー)は答えなかった。「あいつはおれたちの妹だ」まだ何も答えなかった。
「カネは払う」一本眉毛が言った。
「五百ドルでどうだ」
「さもなくば、膝をかち割ってやる」口ひげが言って、内部撃鉄式の三十八口径スミス&ウェッソンをポケットから引き抜いた。短い銃身にじゃがいもサイズの消音器がとりつけられているが、消音器自体が本体の同じほどのでかさだ。わざと見せつけるようなゆっくりとした仕草だった。
「あんたらはとても兄弟には見えない」私は言った。「うしろのやつらのほうがよっぽど似ている」
男どもは振り返りこそしなかったが、私が銃を抜くのに十分な時間をくれた。短身のワルサーPPK/Sは長距離射撃には向かないが、幸運にも口ひげの目に一発、一本眉毛の顔に残り六発の二十二口径弾をぶち込んでやった。
戦争とその後の人生で、最初にパンチを放ったやつが喧嘩に勝つことを私は身に着けていた。弾丸がやつらの頭蓋骨の中を便器の中のおはじきみたいに跳ね回り、もともと少ない脳ミソを頭蓋にぴったりと貼りつく血みどろのゼリーにした。
二人は牛のわき腹肉のようにどさっと倒れ、解けかけた雪が二つの死体の輪郭にそって跳ねあがった“
映画「シェーン」で、ジャック・パランスが扮する殺し屋が、木の歩道から農民の男を見下ろすように撃ち殺す場面を連想した。この場面は実に印象的だった。そういう風に見るとバイオレンスの美学と言えるのかもしれない。
物語は、ニットの白シャツ、オリーヴ色のカーキのズボン、カシミアのスポーツコートといういでたちのマック、正式にはウィリアム・マッキンデリック博士から、〈スラムガリオン〉の店名が入ったTシャツ、ジーンズのズボン、〈オールド・ゴーツ〉のウィンドブレーカーをまとったシュグルーは仕事を依頼される。
マックは精神科医で、長期の精神分析治療を受けている患者の治療経過を記録したミニディスクをコピーされたという。マックは患者の一人の可能性が強いといい、その調査を依頼してきた。
殺人が起こりシュグルーにも危険が降りかかる。というようなハードボイルドだ。シュグルーが聞くルシンダ・ウィリアムズ、ケリー・ウィリスという二人のカントリー系女性歌手は、おそらくクラムリーの好みなのだろう。
以前読んだ本の中にも出てきていて、CDを買ったり図書館で借りたりした。いずれもシンガソングライターで独特の節回しは共通するものがある。
ルシンダ・ウィリアムズ
ケリー・ウィリス
著者は、1939年テキサス州スリー・リヴァース生まれ。ジョージア工科大学を卒業後、兵役を経てテキサスA&I大学に進み、続いてアイオワ大学のライダーズ・ワークショップに学んだ。69年にヴェトナム戦争を題材にした『われ一人永遠に行進す』でデビュー。その後、酔いどれ探偵ミロを主人公にした『酔いどれの誇り』『ダンシング・ベア』『ファイナル・カントリー』、探偵シュグルーが主人公の『さらば甘き口づけ』『友よ、戦いの果てに』を発表し、現代ハードボイルドの第一人者としての地位を確立した。