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ロバート・ゴダード「最期の喝采」

2008-11-04 13:17:29 | 読書

         
 いかに才能ある作家でも出来、不出来はあるものだ。わたしにとってこの作品が不出来のそれにあたる。どうも今までの作品のように没入できなかった。
 ロジャー・ムーアにつぐ007ジェームズ・ボンドになる可能性があった俳優トビー・フラッドの目から見た今回も一人称の作品だ。
 ノウハウ本の「ミステリーの書き方」で、もう故人となりわたしの好きなジョン・D・マクドナルドが書いている。
 “一人称は扱いにくい、そして三人称がもっとも扱いやすい”と。ロバート・ゴダードは、その扱いにくい一人称で読者を魅了し続けている。しかも、ジョン・D・マクドナルドが重ねて言う“最近の読者は少々気短になっている。謎よりもサスペンスを、考えることよりもアクションを要求する”
 この指摘にもゴダードはいとも簡単に跳ね返している。そのせいか、この作品の最後のアクション場面は、少々緊張感が乏しかったか。
 ストーリーの取っ掛かりがなんでもないストーカー事件かと思わせながら、実は奥深い出生の秘密にまつわる殺人事件をさえない俳優が追いかけるというプロットになっている。
 「グーレイト(すばらしい)」というユーモアのある会話体を織り交ぜながら、テクテクと歩き回り、バスに乗って聞き込みに廻る。日本では禁止されている携帯電話の車中通話も頻繁に行う。ほぼ一週間の出来事だ。
 それにしても俳優というからには、女性の目を引く筈が一向にその気配がない。一週間、まだ四十代の男が女気なしでいられるとは不思議だ。そんなことが気になってくる。小説とはいえ生身の人間を描いているわけで、些細なことも大事かなと思ってしまう。
コメント
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