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読書 永井義男「江戸の下半身事情(1)」

2008-11-26 17:17:26 | 読書

           
 著者の『はじめに』から引用すると
“近年、江戸時代や江戸について
「江戸時代は豊かだった」
「女性は自由を謳歌していた」
「江戸の人々はグルメで旬の食材を食べていた」
「江戸の町はリサイクルが行き届いていた」
 などという発言や記述が目立つ。なかには、あたかも江戸が理想の楽園だったかの様な解説すらある。もちろん、江戸時代は暗黒時代だったわけではないが、現代とくらべると生活水準、衛生や医療の水準、教育水準ははるかに低かったし、身分制も強固だった。
 豊かさ、自由などについては、あくまで思ったより豊かだった。思ったより自由だった。あるいは、豊かな一面があった、自由な一面があった、に過ぎない。
 衣食住の全てが現代に比べると格段に貧しかったし、制度では庶民の自由や権利は厳しく制限されていた。
 旬の食材については、冷凍設備や迅速な輸送手段がなく、温室栽培や輸入もなかったため、旬の食材しか手に入れることが出来なかったことにほかならない。当時の人々は旬のものを毎日食べざるを得なかった。
 リサイクルにしても、物の値段が高く、人件費が安かったからこそ商売として成り立っていた。江戸の人々にリサイクルの意識があったわけではない。
 江戸時代や江戸を美化する傾向はいささか度が過ぎている感が無きにしもあらずである。やはり、貧しく不自由な時代だったというのが基本であろう。そういう時代背景を押さえ、制度なども出来るだけ紹介しながら、江戸の下半身事情を見て行きたい“
 というわけで第一章は「江戸の性生活は楽ならず」とあって、いくつかの項目が並んでいる。その中で特に[声は筒抜け]や[六畳間を二組で割床(わりどこ)]それに[腎張(じんばり)と腎虚(じんきょ)]などが興味を引いた。
 [声は筒抜け]は、昔の家屋は襖(ふすま)と障子(しょうじ)でプライバシーを保っているつもりだったが、音のほうはさえぎるものはない。家族の個室のない時代ではセックスを楽しむどころではない。呼吸の乱れまで気にしなくてはならない。本当に楽ではない。
 ところが現代でも、自宅で大いに楽しめるかというとそうでもないところも多いようだ。結婚して夫の両親と同居となると、素っ裸で家の中を歩き回れないし、いくらベッドルームがあっても、近頃のツーバイフォーの建築では、やはり音が気にかかる。襖と障子から開放されたけど、音からは逃れられない。そんなわけで、夫婦でラブホテル利用頻度が高くなる。
 つぎの[六畳間を二組割床]は、一般の家庭の話ではない。今はない遊郭でのお話。女郎というセックス専門の女がいて、相手をしてくれる。混んでいると相部屋になり、二組が精を出すことになる。
 わたしも経験がある。不思議と恥ずかしいとか照れくさいとかの感情はなかった。おおらかなセックスだった。それにしても相手の女郎は、うんともすんとも言わなかった。早く終わらせようとするだけだった。もっともセックステクニックも知らないしひたすら突進しておわるのも早かった。
 [腎張と腎虚]に至っては、羨望と哀しさを覚える。腎張というのは、精力絶倫のこと。これは男の側のことで、江戸時代に絶倫男がいてその話が伝わっているそうだ。
 92歳の医者の男と鍼(はり)やマッサージを行う50歳の女が結婚した。この絶倫男。初夜に18回セックスをした。本当か? と疑いたくなるしうらやましくもなる。当然女は逃げ出した。
 いっぽう[腎虚]は、いわゆる「し過ぎ」で男の体力減退、衰弱のことという。こちらのほうは時代を考えれば納得がいく。今のような豊かな食料事情でないことから当然だろう。チョット男が哀しくなる。それにしても、あの絶倫男は、なにを食っていたのだろう。
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