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デジカメ持って小旅行「坂東三十三箇所霊場11番札所安楽寺(あんらくじ)」

2009-04-21 21:16:00 | 旅行

            
 埼玉県比企郡吉見町御所374にあるこのお寺へも、迷いながらたどり着いた。しかも裏側から狭い道をよたよたと。仁王門の前の人家の横に車を止めさせてもらった。
 今から1,300年前、行基菩薩が岩窟に観音像を安置したのが始まりといわれている。平安時代初期の武将、坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)。名は田村麿とも書く。正三位大納言兼右近衛大将兵部卿。54歳で没す。多くの伝説がある。その田村麻呂が堂宇(格式を備えた寺の建物)を建立したと伝えられる。
 その後、源頼朝の異母弟源範頼(のりより)がこの地を領することになり、本堂と三重塔を建立したと伝えられるが、天文年間(1532年~1554年)の上杉憲政と北条氏康の松山城合戦に際しすべての伽藍は焼失してしまった。
 現在の本堂は、寛文元年(1661年)に再建されたものであり、五間堂の平面を持つ密教本堂で、江戸時代前期の建築様式を伝える貴重な遺構である。また。堂内の欄間には左甚五郎の作といわれる「野荒しの虎」も納められている。
            
            
 三重塔は本堂よりも古い寛永年間(1624年~1644年)の創建であり、全体的に簡素な意匠ながら和様様式で統一された江戸時代初期の貴重な遺構である。
 仁王門は元禄15年(1702年)に再建された三棟造りの八脚門という建築様式を持ち、内部に仁王像二体を安置する。本堂、三重塔、仁王門は県指定、仁王像は町指定の文化財になっている。
 きれいに掃き清められ、落ち着いた雰囲気のお寺だ。人家の横に停めさせてもらったが、帰路広い駐車場があるのが分かった。そもそも道を間違えたのがいけなかった。道路に大きな看板が見えた。どうして見落としたのだろうか。