報国寺からバスで鎌倉駅へ。再び人ごみの中に紛れ込んだが、江ノ電の改札口はどこだ? と掲示板や看板を見るがよくわからない。バスを降りたのは東口で、江ノ電はその反対にある。
どこの駅でも通路があるはずなので、それを探したが見かけたのは江ノ電の案内ポスターだった。それによるとJRの改札をスイカで通り江ノ電の改札で再びスイカを認識させればいいとのこと。JRの料金はかかりませんとも書いてあった。
江ノ電は四両編成の小さな電車がホームに入ってきた。並んでいた多くの人が車内に納まった。まるで掃除機で吸い込まれたように、ホームはきれいになった。大半に人は、長谷寺や大仏の下車駅である長谷駅で降りる。
「長谷寺」駅の江ノ電車両
改札へは線路を渡る。今は珍しい風景
駅前からの歩道は狭く人と行き交うのは、田んぼの畦道を歩いている気分にさせられる。日本の観光地もこの程度では、観光立国を目指すのにはチトひどすぎる。
山 門
さて、この長谷寺まさに観光寺で外国からの観光客も多いし、もちろん日本人観光客も多い。それに拝観料は、300円が必要。浄土宗系の単立寺院、そのせいだろうか山門があって仁王門はない。
本 堂
天平8年(736年)大和の長谷寺の開基でもある徳道上人を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。この十一面観音像は、観音霊場として著名な大和の長谷寺の十一面観音像と同木から造られたという。その言い伝えによると、養老5年(721年)に徳道上人が楠の大木から2体の十一面観音像を造り、そのうち一体を大和の長谷寺の本尊とし、あとの一体は、開眼供養の導師をつとめた行基によって衆生済度(しゅじょうさいど:この世の中に生きるすべてのものの苦悩や迷いを救うのが仏の本願)の願が込められ海中に投じられた。その15年後、相模国の三浦半島に流れ着いた尊像を安置して開いたのが、鎌倉の長谷寺となった。
とにかく人が多く遊園地にでもきたような気分になった。
本堂の先にある休憩所からの鎌倉市内
境内はこのように人人人
この近くに川端康成記念館があって、ぜひそちらにも行ってみたかったが、場所を尋ねた佐川急便の人に「閉まってますよ」と言われ、残念ながら諦めた。鎌倉駅であまり待たずに千葉方面ゆきの電車に乗って、自宅には午後4時ごろには着いた。