今年、2009年の1月からはじめた霊場札所めぐりは、ようやく残す二寺になった。高崎市にある「長谷寺(ちょうこくじ)」と埼玉県ときがわ町の「滋光寺(じこうじ)」である。
この二つのお寺は、いずれも再訪になる。もっとも長谷寺は、道に迷ったこともあり、夕闇に阻まれてあきらめたし、滋光寺も暗い中の参拝になったので、明るいうちに行ってみたいと思っていた。それで暑い盛りの霊場めぐりとなった。
この日は、梅雨も空けた関東地方には、最高気温35度のところが多いという予報が出ていた。今回ナビゲーター役の妻は不参加。起きたのが午前2時半、朝食のあと弁当を作って5時自宅を出発する。高速道や一般道を織り交ぜて、長谷寺には午前10時過ぎに着いた。
仁 王 門
阿形(あぎょう)仁王像
吽形(うんぎょう)仁王像
車の外に出ると、夏の太陽が熱線を浴びせてくる。起きるのが早すぎたせいか眼がしょぼしょぼする。お寺といっても雰囲気に違いがあり、その雰囲気に好き嫌いがあるのも仕方がないことかもしれない。お寺に対するイメージは、人それぞれだろうが、わたしはどうも荘厳さを期待しているようだ。その点からは、このお寺にはない。県道137号線沿いに里山の雰囲気の残るところだが、ギラギラする真夏の太陽に照らされているせいかもしれない。
本 堂
朱鳥(しゅちょう)年間(686年)に開基されたらしいが、詳細は不明となっている。よく見る名前、行基や最澄、空海などの由来もあるがハッキリしない。源氏(鎌倉将軍家)をはじめ新田氏、上杉氏などの信仰を得た。戦国時代永禄9年(1566年)には武田信玄が箕輪城を攻めたときに類焼したが、天正8年(1580年)世無道によって再興された。
群馬県指定文化財の十一面観音立像については、総高230センチ、像高180センチで、榧(かや)材の一木割矧造(いちぼくわりはぎづくり)、目は彫眼で素木仕上げとなっている。様式から平安時代後期(藤原時代)の作とされる。また、同型の前立像(まえだちぞう)は、総高270センチ、像高186センチで桧(ひのき)の寄木造、目には玉眼がはめ込まれ、全体に金箔が施されている。右手に錫杖、左手には宝瓶を持ち、鎌倉時代の作と推定されている。とあった。
そそくさと暑さを逃れるために車に乗り込んだ。ここから秩父を経由して滋光寺に向かう。