今日の読売新聞の記事。書き出しはこうだ。「東日本大震災の被災地に建ち並ぶプレハブ仮説住宅。東北の冬を過ごすには、あまりに不十分で簡易な建物で、被災者たちは寒さに身を縮めるような日々を送っている」
阪神淡路大震災から19年、東日本大震災から3年。日本列島を揺るがす大震災から都合22年も経て、いまだにプレハブ仮設住宅という発想の貧弱さは何を意味しているのか。皮肉な見方をすれば、「国民をないがしろにしている」とも言える。
この仮設住宅というのは、建築現場で事務所に使う建物だ。夜は人が住んでいないという代物。
記事の中で、プレハブ建築協会(東京)によると、建物の構造は1995年の阪神・淡路大震災の時と基本的に同じだが、壁と天井の断熱材は倍の厚さにし、床にも断熱材を入れたという。そして冬。住民は寒さを訴える。断熱材を追加し、窓も二重サッシにして、水道管には電熱線を巻いた。それでも住民は逃げ出して半減したと言う。
慣れの問題もあるだろうが、プレハブの壁は薄いし、床下は吹きさらしだ。世界有数の経済大国の日本の国民が、自然災害に見舞われた時に受ける援助としては甚だ貧弱極まる。自民党であれ民主党であれ同じだ。日本人の発想そのものが貧弱だからだ。
日本の住宅をウサギ小屋と揶揄されたことがあった。まず、公共の住宅から世界標準のものに建て替えて行くべきだろう。でないと100年経ってもウサギ小屋が続く。