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どう考えても貧弱な発想としか思えない震災時の仮設住宅

2014-02-04 16:55:52 | 社会

 今日の読売新聞の記事。書き出しはこうだ。「東日本大震災の被災地に建ち並ぶプレハブ仮説住宅。東北の冬を過ごすには、あまりに不十分で簡易な建物で、被災者たちは寒さに身を縮めるような日々を送っている」

 阪神淡路大震災から19年、東日本大震災から3年。日本列島を揺るがす大震災から都合22年も経て、いまだにプレハブ仮設住宅という発想の貧弱さは何を意味しているのか。皮肉な見方をすれば、「国民をないがしろにしている」とも言える。

 この仮設住宅というのは、建築現場で事務所に使う建物だ。夜は人が住んでいないという代物。

 記事の中で、プレハブ建築協会(東京)によると、建物の構造は1995年の阪神・淡路大震災の時と基本的に同じだが、壁と天井の断熱材は倍の厚さにし、床にも断熱材を入れたという。そして冬。住民は寒さを訴える。断熱材を追加し、窓も二重サッシにして、水道管には電熱線を巻いた。それでも住民は逃げ出して半減したと言う。

 慣れの問題もあるだろうが、プレハブの壁は薄いし、床下は吹きさらしだ。世界有数の経済大国の日本の国民が、自然災害に見舞われた時に受ける援助としては甚だ貧弱極まる。自民党であれ民主党であれ同じだ。日本人の発想そのものが貧弱だからだ。

 日本の住宅をウサギ小屋と揶揄されたことがあった。まず、公共の住宅から世界標準のものに建て替えて行くべきだろう。でないと100年経ってもウサギ小屋が続く。
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日本の政治家のユーモア・センス欠如の見本

2014-02-02 21:57:57 | 政治

「政治家としてわがままを通させてほしい。自分のケツは自分でふく」
 2月1日、都内のホテルで行われた党大会後の大阪維新の会の会合。橋下氏はそう語り、出直し市長選への出馬に理解を求めた。(産経新聞デジタル版から引用)

 本当にこの字句のとおり言ったのなら開いた口がふさがらない。品位もユーモアもなく最低の比喩だ。

 常々思うのは施政方針演説は別にして、予算委員会の答弁やインタビューのコメントに政治家のユーモア・センスが感じられないことだ。これは何も政治家に限ったことではない。日本人の一般的なセンスだろう。

 国際社会を見据えてみると、どうしてもユーモア・センスの欠如はマイナスに働く気がしてならない。「自分で責任をとる」という比喩を考えてみるのもいいかもしれない。

 「自分のコーヒーは、自分で淹れる」「ワイングラスの赤ワインは、肉の煮込みには使わない」……色々な言い方がありそうだが、外国人記者は「自分のケツは自分でふく」をどう訳すのか興味深い。それにしても、東京都に続いてまたもや税金の無駄遣いだ。
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目的地のない旅の果てに掴んだものは? オーストラリア映画「ラスト・ショット」

2014-02-02 21:38:14 | 映画

                 
 親を選べない子供10歳のチョーク(トム・ラッセル)にとって刑務所帰りの父親ケヴ(ヒューゴ・ウィービング)の行き先のない旅でもついて行かなくてはならない。この地球上で唯一頼れるモノといえば、このどうしょうもない男しかいない。

 この行く先々で問題を起こし警察から追われる父親。人を殴り物を盗み、息子に人間としての誇りを教えない男。チョークは母親のことが知りたいらしく聞くが、その話はしたくないと逃げる父親。そのくせ放浪癖があり母親としてつとまらない女だったという。刑務所に何故入ったのかとの問いにも口を濁す。ひょっとしてその女を殺したのかもしれないと思わせる。

 オーストラリアの赤茶けた大地を歩き、車で疾走する。いわゆるロード・ムービーだ。どうしょうもない父親だが、息子のチョークは親に似ず優しい心の持ち主。ケヴに「夕食のうさぎを獲って来い」と言われライフルで撃つ。腹に銃弾を受け苦しむうさぎを見て、息を引き取るまで抱いてやる。そして、うさぎの亡き骸に石を積んで墓標とした。

 ケヴの「うさぎはどうした?」の問いに首を横に振るだけだった。二台のパトカーが砂埃を上げながらこちらに向かってくる。「僕が通報した」とチョーク。あの短気な父親ケヴに安堵の表情がよぎる。ケヴはライフルをチョークから取り戻し「行け」。離れて行くチョークの耳に一発の銃声が聞こえた。そう、ケヴは自分の人生に決着をつけたのだ。

 動転して自らも死のうとしたチョークだったが、野営をしたときケヴから教えられた水に浮くことを体が覚えていて死ぬことも出来ない。父親がした唯一の善行だった。

 行き先のない旅は、ケヴの心のありようを表している。人生に絶望していたのかもしれない。息子がいる限り生き続けなければならない。チョークの「僕が通報した」の言葉は、ケヴにとっては別れを意味した。心の中で息子はこれから何とかやっていけるかもしれない。 と思ったのかもしれない。親子の絆を描いて、乾いた感動を与えてくれた。

 映画の中で水深10センチもない湖を車で疾走する場面があるが、その湖が知りたくてネットで探した。推測だが、南オーストラリアにはいくつかの塩湖があるらしい。多分アデレードに近いゲアドナーレイクではないかと思う。
           
           
           
           
         
監督
グレンディン・アイヴィン

キャスト
ヒューゴ・ウィービング1960年4月ナイジェリア生まれ。
トム・ラッセル
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