初出掲載誌 COM 1970年 9月号 やなせたかし氏の表紙
宿題をやらなくちゃと思うほど、コミックスに手が伸びた子供の頃そのままにずるずると後回しになっていた、「トキワ荘物語」 最終回 手塚 治虫先生の巻でございます。大変お待たせ致しました・・・・。
この回、手塚氏はトキワ荘本人 (?) に語らせています。トキワ荘は女性のようです。若いマンガ家を包んで育んだ母性の象徴でしょうか。
文中、黒文字は作品中のセリフ及び文章です。
いらっしゃいまし わたしの名は・・・トキワ・・・ ええ・・生まれは昭和二十九年ですの・・・。
いつものトキワ荘へ入る狭い道の入り口からトキワ荘を見るコマ。目線はちょうど自分の眼の高さのよう。玄関の戸は閉められています。他の作品では大体いつも開いていて、2階に登る階段が見えていますが、まだ建ってすぐの頃なのでしょう。
椎名町の鳥瞰図、星空とトキワの屋根
夜はまだ虫なんかないていたし、星はそれこそ降るように美しくて
近所でしょうか、子育て地蔵さまや芝居小屋の絵が続いて、トキワの独白は続きます。
私は空き地のかたすみでほんとうにそのままならだれにも気づかれずにひっそりと一生をおわるはずだったのです。
学童社の人に連れられて手塚氏が路地を入ってくる。
私はめずらしいけいけんをすることになったのです
階段をギシギシと上がる手塚氏。
安ぶしんだな
ええ どうせそうですわ でも新築ですのよ。
手塚氏はフトンとひとつの机、ザブトンもカーテンもなく住み始める。
よっぽど貧乏なのかしらとわたしは思いました。そうでもなさそうなのです。
女性のハダカを思い描いて遊びに行こうとする手塚氏。部屋の入り口で編集者らしい人と鉢合わせする。
たいへん遊び好きでルーズな人でした。そのくせ朝から晩まで仕事を押し付けられていました。
廊下の絵に被せて、その他の人たちは学生、子供のいない夫婦 (大家が子供を嫌がった) などでした、と説明。
ある雪の夜、2階の窓からおしっこをする手塚氏。いくら部屋にトイレがなくったって・・とトキワは、ええどうせ私は・・・とすねています。
学童社の人が新潟から上京してきた長身の寺田ヒロオをつれてきます。自炊する寺田氏。手塚氏は外へ食べに行きゃ楽なのにと言いますが、寺田氏はそんな贅沢はできませんよ、と答えています。手塚氏はほとんど外食だったのでしょう。
この寺田という人はひどく世話好きでわかいまんが家がしょっちゅう泊まって行きました。
手塚の留守を外来者に伝える寺田の絵。いつもいなかったらしい。藤子不二雄や石森、つのだらのコマと新漫画党の会合らしきコマ。
だれもかれもお金はなさそうだったのにすごくたのしそうでほがらかでした。
トキワはまんが荘というアダ名までもらい、多いときは7~8人が住み、15~16人が集う、「まんがの梁山泊」 (他で手塚氏が言っていた) となったのです。
その人たちはみんなわたしのところで苦しみ、はげましあいながら世にでていきました。
あれからもう十何年かになります。
雨の中、傘を差し、荷物を持って出て行く手塚氏の後姿。
いまはもうひとりもまんが家はいません。私もとしをとりました。
それでもちょっとは有名になって、今だにマンガ家のたまごが見に来たりしている。大家の夫婦がそろそろ寿命が来たなと話している。
ええ 仕方がありませんわ。
― 略 ―
でもわたしは満足ですの 、あんなにたくさんのまんが
家が育って・・・子どものために描いているのですもの
― 略 ―
わたしは本望ですの みじかい一生でしたけど思い出ができましたもの
すっかりくたびれた格好のトキワが建っているコマで終わりです。
いい漫画、実験作、まだいろいろCOMには紹介したい作品があります。松本 零士の 「無限世界シリーズ」、みやわき しんたろうのハートウォームな作品群、(後に男性誌のエッチな作品を見てびっくりしました)、青柳 裕介の一連の作品は暗いしなぁ、女性も木村 みのりのアウシュビッツものとか、やまだ 紫も始めからあの絵柄、あの雰囲気で作品を発表していますし。矢代 まさこ、萩尾 望都も何作か。
あーでも、すみません。しばらくCOMはお休みさせてください。他に読むものいっぱい出来ちゃって、夜さんにどっさりお借りしたのです。もう手に入らないものもたくさんあって、わくわくしていそいそ帰る日々です。読了したら、少しづつ感想UP致します。
「トキワ荘物語」 最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
宿題をやらなくちゃと思うほど、コミックスに手が伸びた子供の頃そのままにずるずると後回しになっていた、「トキワ荘物語」 最終回 手塚 治虫先生の巻でございます。大変お待たせ致しました・・・・。
この回、手塚氏はトキワ荘本人 (?) に語らせています。トキワ荘は女性のようです。若いマンガ家を包んで育んだ母性の象徴でしょうか。
文中、黒文字は作品中のセリフ及び文章です。
いらっしゃいまし わたしの名は・・・トキワ・・・ ええ・・生まれは昭和二十九年ですの・・・。
いつものトキワ荘へ入る狭い道の入り口からトキワ荘を見るコマ。目線はちょうど自分の眼の高さのよう。玄関の戸は閉められています。他の作品では大体いつも開いていて、2階に登る階段が見えていますが、まだ建ってすぐの頃なのでしょう。
椎名町の鳥瞰図、星空とトキワの屋根
夜はまだ虫なんかないていたし、星はそれこそ降るように美しくて
近所でしょうか、子育て地蔵さまや芝居小屋の絵が続いて、トキワの独白は続きます。
私は空き地のかたすみでほんとうにそのままならだれにも気づかれずにひっそりと一生をおわるはずだったのです。
学童社の人に連れられて手塚氏が路地を入ってくる。
私はめずらしいけいけんをすることになったのです
階段をギシギシと上がる手塚氏。
安ぶしんだな
ええ どうせそうですわ でも新築ですのよ。
手塚氏はフトンとひとつの机、ザブトンもカーテンもなく住み始める。
よっぽど貧乏なのかしらとわたしは思いました。そうでもなさそうなのです。
女性のハダカを思い描いて遊びに行こうとする手塚氏。部屋の入り口で編集者らしい人と鉢合わせする。
たいへん遊び好きでルーズな人でした。そのくせ朝から晩まで仕事を押し付けられていました。
廊下の絵に被せて、その他の人たちは学生、子供のいない夫婦 (大家が子供を嫌がった) などでした、と説明。
ある雪の夜、2階の窓からおしっこをする手塚氏。いくら部屋にトイレがなくったって・・とトキワは、ええどうせ私は・・・とすねています。
学童社の人が新潟から上京してきた長身の寺田ヒロオをつれてきます。自炊する寺田氏。手塚氏は外へ食べに行きゃ楽なのにと言いますが、寺田氏はそんな贅沢はできませんよ、と答えています。手塚氏はほとんど外食だったのでしょう。
この寺田という人はひどく世話好きでわかいまんが家がしょっちゅう泊まって行きました。
手塚の留守を外来者に伝える寺田の絵。いつもいなかったらしい。藤子不二雄や石森、つのだらのコマと新漫画党の会合らしきコマ。
だれもかれもお金はなさそうだったのにすごくたのしそうでほがらかでした。
トキワはまんが荘というアダ名までもらい、多いときは7~8人が住み、15~16人が集う、「まんがの梁山泊」 (他で手塚氏が言っていた) となったのです。
その人たちはみんなわたしのところで苦しみ、はげましあいながら世にでていきました。
あれからもう十何年かになります。
雨の中、傘を差し、荷物を持って出て行く手塚氏の後姿。
いまはもうひとりもまんが家はいません。私もとしをとりました。
それでもちょっとは有名になって、今だにマンガ家のたまごが見に来たりしている。大家の夫婦がそろそろ寿命が来たなと話している。
ええ 仕方がありませんわ。
― 略 ―
でもわたしは満足ですの 、あんなにたくさんのまんが
家が育って・・・子どものために描いているのですもの
― 略 ―
わたしは本望ですの みじかい一生でしたけど思い出ができましたもの
すっかりくたびれた格好のトキワが建っているコマで終わりです。
いい漫画、実験作、まだいろいろCOMには紹介したい作品があります。松本 零士の 「無限世界シリーズ」、みやわき しんたろうのハートウォームな作品群、(後に男性誌のエッチな作品を見てびっくりしました)、青柳 裕介の一連の作品は暗いしなぁ、女性も木村 みのりのアウシュビッツものとか、やまだ 紫も始めからあの絵柄、あの雰囲気で作品を発表していますし。矢代 まさこ、萩尾 望都も何作か。
あーでも、すみません。しばらくCOMはお休みさせてください。他に読むものいっぱい出来ちゃって、夜さんにどっさりお借りしたのです。もう手に入らないものもたくさんあって、わくわくしていそいそ帰る日々です。読了したら、少しづつ感想UP致します。
「トキワ荘物語」 最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。