猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

水野 英子 「エリザベート」

2007年02月22日 09時22分17秒 | マンガ家名 ま行
 原作 塚本 哲也 ㈱講談社刊 2002年9月2日初版 これは同年12月2日の第3刷
初出 雑誌「クレア」 1993年11月号~1996年2月号

 祖母は絶世の美女、かのルードヴィヒⅡ世に想われたオーストリア皇后“シシィ”エリザベート、祖父はオーストリア国父と謳われたフランツ・ヨーゼフ皇帝、父は皇太子ルドルフ、19世紀末のウィーンに生まれたハプスブルグ家最後の皇女エリザベートの生涯を描いた歴史絵巻。
 歴史物が読みたくてブック○フで手に取りました。しかも華麗な水野 英子先生の絵とくれば何も言うことありません。

 以下歴史実録物なので、大雑把ですが、ネタバレです。

 水野先生の絢爛たる筆致に乗せて描かれる前半の宮廷場面の豪華なこと庶民には想像もできません。しかし、彼女自身の物語は5歳の時に父の皇太子ルドルフを情死で亡くしてから波乱万丈の人生が幕開けとなります。「うたかたの恋」 として映画などでも有名なこの恋は、相手の年齢が17歳と言うことも有り、今だってセンセーショナルですよね。

 第一次大戦後にオーストリアとドイツは共和制に生まれ変わり、ハプスブルグ家のオーストリア帝国は崩壊します。(オーストリアはぐっと小さくなる) 大戦中に唯一の庇護者のおじい様 (フランツ・ヨーゼフ皇帝) も亡くしていたエリザベートはナチスの台頭、第2次大戦へと続く歴史の中で私生活も翻弄されて行きます。
 17歳で彼女の恋を実らせて、皇位継承権を捨ててまで結婚したオットー中尉とは次第に心が離れて行き、彼の浮気、自身の恋そして恋人の戦死、とオットーとの間にできた4人の子供を抱えて後半は苦難の人生を歩みます。

 息子二人にも先立たれたが、最晩年は生涯の伴侶オーストリア社民党のレオポルド・ペツネック (なんと孤児院育ちの貧農の息子です) と短い間だけでも小さな家で穏やかに暮らせたのが救いでしょうか。ペツネックも戦時中にはナチスの収容所に入れられて九死に一生を得ています。ペツネックと結婚 (始めは離婚が認められなかった為に同居) したため彼女は 「赤い皇女」 と呼ばれます。
 彼女の人生は当時の歴史と切り離して語ることはできないので、詳しくそしてわかりやすい解説がところどころに入り、地図も入って小学生高学年以上なら大体わかるでしょう。
 エリザベートは1883年9月2日生まれ、亡くなったのは1963年3月16日、79歳の生涯でした。墓石には名前も碑文もないということです。又遺品はハプスブルグ家の物は国に返すべきという考えから、すべて国に寄贈されたそうです。

 原作者の塚本 哲也氏はオーストラリアに毎日新聞社の支局長として赴任当時にエリザベートの死亡記事に出会い、まだこういう方が生きていたのかと興味を持って調べ始め本にまとめたそうです。水野氏もそれを読んでいたそうで、クレアのマンガ化の依頼も嬉しかったでしょう。

 以前読んだ池田 理代子氏のナポレオン伝記 「エロイカ」 と同じ位楽しめて勉強になりました。水野氏には又こういうものを描いて欲しい。
コメント (10)
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