金曜の夕方は空いていいた。ゴッホ美術館の所蔵が多い。去年の秋、訪問の際アムステルダムのゴッホ美術館は仮移転していたが、整備の間の貸し出しかもしれない。<o:p></o:p>
画家の技法、手法、生活の変化、売りたいという欲望、自己のスタイルを保ちたい相克をテーマにパリ時代(1885~1887年)の作品と参考作品で展示を組んでいる。面白い試みだ。ゴッホの傑作は厚塗りで青・黄が有名だが、薄塗りの作品、窓からの風景画など色々な技法や試みがあったのは知見だ。これはと思った絵は:<o:p></o:p>
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グレーのフェルト帽の自画像:恐ろしい放射状の顔面の筆だ。色も緑青が入るという独自のもので背景は同心円状という大胆さだ。<o:p></o:p>
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アブサンのグラス:緑青が効果的、何故か不安になる色づかいだ<o:p></o:p>
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耕された畑:ゴッホの厚塗り、水平線が傾いているし、畝のパースも焦点がおかしい。しかし色と厚さでぐいぐい引っ張る、「烏のいる麦畑」を思い出す<o:p></o:p>
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ヤマウズラの飛び立つ麦畑:まともな描き方、鶉もまとも。ゴッホ的写実。<o:p></o:p>
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感じたことは:<o:p></o:p>
緑青とは緑に青を加えている。緑とは黄と青で構成され赤がない、つまりは動物の生命のダイナミズムを感じない色だが、植物のひそやかな生命を示す色でもある。更に、緑に青を加えたものはより人工的な印象がある。この青緑はターコイズ・ブルーの彩度もなく、より緑に近い色相だ。また、緑青は曖昧色ともいわれ、公共インフラ(橋、歩道橋、機器 など)に多く使われる。心の不安定さを感じる。ゴッホとパースについては、その技量は乏しい。ただし、デフォルメのようで妙に迫力があるのも確かだ。<o:p></o:p>
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大変面白く感じることの多かった展覧会だ<o:p></o:p>
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