ご無沙汰ですみません
14の呪縛のせいか、このところ数字が多くて、重ねてすみません
70年前の1944年7月20日、戦争を早く終結させるためドイツ軍将校グループの計画したヒトラー暗殺計画が失敗に終わり、暗殺計画に参加した多くの人々が処刑されました。
現在のドイツで、彼らは、ドイツを救おうとした英雄として高く評価されています。
毎年、7月20日頃には、必ず新聞にも記念記事が載ります。7月18日付けNZZ(新チューリヒ新聞)にも1ページの大きな記念記事が載りましたが省略。
2007年のドイツの記念切手
上の人物は、
総統大本営に時限爆弾を仕掛けた
クラウス・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク(1944年7月21日銃殺)
下は、独自に反ナチ・反ヒトラーの抵抗運動を続けて処刑された
ヘルムート・ジェームズ・グラーフ・フォン・モルトケ(1945年1月23日処刑)
偶然にも2人が同年の生まれだったため、反ナチ・反ヒトラーの抵抗運動中心人物の生誕100周年として発行された切手です。
2人のレジスタンスは違う場所で、違うコンセプトによって行われましたが、いずれも、多くの賛同者・協力者が命の危険を冒して参加していました。そうした人々の日記や書簡も色々出版されています。私も書簡集を持っていて、以前ドイツの友達に見せたところ、彼女が開口一番言ったのは
ドイツの名誉を救った人たちだわ!
日本語ウィキにはシュタウフェンベルクに関する詳しい記事があります。その中に書かれておらず、ドイツ語ウィキで言及されているのは、毎年7月20日にドイツ連邦政府とドイツ連邦軍で記念セレモニーが行われることです。
7月20日の暗殺計画グループはドイツ軍将校(つまり貴族の家系)が中心だったため、総司令官に対する忠誠とか色々な伝統的道徳観に縛られて、戦争末期になって漸く反ヒトラーの行動に移ったなど、その「鈍重さ」を批判され、実際、暗殺計画が失敗に終わったため単に多くの犠牲者(処刑者)を出しただけでしたが、確かに実現したことがあったのです。
それが「ドイツの名誉を救った」ことでした。
2008年の映画
映画「ワルキューレ」は日本でも公開されています。
YouTubeに映画の予告編や色々なシーンがアップされていると思います。
私が持っている書簡集の手紙を書いた人物:
ヘルムート・シュティーフ
シュタウフェンベルクのグループには、オーストリア(ナチス・ドイツに併合されていた時代は
オストマルク)の軍人や反ナチ運動家も参加していました。
ほかにも色々あった反ナチ運動グループの一例が
白いバラです。
まだゴタっていますので、まばら更新です
たまーに覗いてやってくださいませ。もちろん、恒例、乞無期待