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未知との遭遇

2016-10-24 | おきにいり

なんか昔々、こんな題名の映画があったようですが、別に宇宙人との出会いでなくとも、「殆ど未知」との遭遇は地球上でもあります。

安土桃山時代から島原の乱・完全鎖国までに多少外国人と接触があったにしても、幕末の日本人にとって西洋人(つまり、当時開国と通商を求めてやって来たアメリカ、イギリス、ロシアなどオランダ以外の西洋人)とは「殆ど未知」との遭遇だったと思います。蘭学者は、ある程度知っていたと思いますが、僅かな少数派でした。

そうした幕末時代に起こった生麦事件を詳細に客観的に描いているのが、この本です。



上下2冊の表紙を合わせると、当時の生麦村の道を大名行列が通る風景で、行列で道が塞がれているのが良く分かります。
(この絵は生麦事件参考館に所蔵されているものです)

1862年、異母兄の島津斉彬の遺志を実行しようと島津久光は軍勢を従えて上洛後、江戸へ向かい、更に京都へ戻る途中、生麦村で騎馬4人の外国人と遭遇。道脇にさがって下馬することもせず、行列の中に入り込んできたため、久光の従者によって斬られ、ひとりが死亡、2人は重傷、唯一の女性は難を逃れたという事件でした。

吉村昭の「桜田門外ノ変」同様、事件以後の出来事が詳しく書かれており、翌年の薩英戦争への経過、更に翌年の下関戦争へと続く推移が良く分かります。誰かを主人公にするのではなく、ルポルタージュのように書かれていますが、それでもスリルと迫力があります。

そして、現代の目で見れば、事件当事者のどちらの立場も良く理解できるのです。薩摩藩士が、無礼にも行列に入り込んできた騎馬の人物に斬りつけるのは、当時としては当然の義務で、しかも尊皇攘夷思想の絶頂期。これが如何なる外交問題に発展するかなど、薩摩藩士は殆ど考えていなかったでしょう。
これに対し、騎馬で物見遊山に出掛けた4人の外国人については、無知のそしりは免れません。当時は外国人襲撃事件が続発していますし、外交官や交易のため日本へ進出した商人なども、当時の日本の政治体制、基本的礼儀作法などは知っていたはずです。

しかし、結局大きな外交問題となって軍事衝突にまで発展し明治維新を早めることとなりました。日本全体を巻き込む大戦争にならなかったのは幸運と言えますが、これは幕藩体制の「怪我の功名」で、薩摩藩も長州藩も「独立国家」として遥かに軍事技術の優れた外国と戦い、すぐ敗北したのです。激烈な攘夷思想で凝り固まっていた尊皇攘夷派が、皆揃って天皇様に申し訳ないと切腹するのでなく、西洋諸国の軍事技術に素直に感嘆したおかげで、明治維新となったのでした。


蛇足ですが・・・
当時のニール英国代理公使が事件の経緯を報告する手紙を本国に送り、その内容を和訳したものの宛先は「不列顛女王陛下」。「不列顛」はブリテンと読みます。当時はヴィクトリア女王の時代でした。


生麦事件
薩英戦争
下関戦争

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