みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

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通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

秋眠仔猫と重要追記

2019-11-28 | かりねこ






多分、茶トラの男の子でしょう。猫さんは睡眠の天才、見てると眠くなりますね

秋色レディーと同じ猫さんサイトの写真です



 南チロルに関する重要追記 


長年、南チロルの州知事を務めたシルヴィウス・マニャーゴの父親は「イタリア人」と書きました。自分では分かっているので説明しませんでしたが、「××人」という区分?分類?はヨーロッパの歴史の中で色々変化しています。日本でも昔は「出羽の国の住人」とか「薩摩もん」とか日本列島の中に色々な国がありました。

マニャーゴが生まれた1914年には南チロルはオーストリア=ハンガリー帝国の一部でした。そして、ドイツ語ウィキに明記されている通り、マニャーゴの父は民族的あるいは人種的な意味でのイタリア人でした。つまり、代々南チロルに住んでいた、あるいは移住してきた家族で、南チロルに馴染み、ドイツ語の南チロル方言を話していたかも知れません。

第一次大戦で南チロルがイタリア領となってから、ムッソリーニファシスト党が台頭すると、南チロルの「イタリア化」が強行されました。ヒトラーとの合意の後は、南チロルの住民はドイツ帝国(第三帝国)への移住か、南チロルに残る場合にはイタリア語を使い、姓名もイタリア語化することが強制されました。ドイツ語の使用は禁止されたので、南チロルに残ったゲルマン系の住民は、子供たちのため秘密のドイツ語授業を行いました。当時のマニャーゴはドイツへ移住するほうを選択したのですが、移住する人々の財産見積もりなどの仕事していたのです。そして、そのままドイツ軍兵士として東部戦線へ向かいました。


昔、ボーツェン(ボルツァーノ)へ行ったとき、更に南への列車に乗るため駅へ向かう途中、向こうから歩いてきた老人に、カタコトのイタリア語で道を尋ねました。その人の言葉に分からないところがあったので、ドイツ語で「ドイツ語を話しますか?」と尋ねたとたん、その人の顔がパッと明るくなりました。ゲルマン系の南チロル人だったのでしょうね。


南チロルには更にキンブリ語を話す少数派住民が存在しますが、ややこしいので無視します