多分、茶トラの男の子でしょう。猫さんは睡眠の天才、見てると眠くなりますね
秋色レディーと同じ猫さんサイトの写真です
南チロルに関する重要追記
長年、南チロルの州知事を務めたシルヴィウス・マニャーゴの父親は「イタリア人」と書きました。自分では分かっているので説明しませんでしたが、「××人」という区分?分類?はヨーロッパの歴史の中で色々変化しています。日本でも昔は「出羽の国の住人」とか「薩摩もん」とか日本列島の中に色々な国がありました。
マニャーゴが生まれた1914年には南チロルはオーストリア=ハンガリー帝国の一部でした。そして、ドイツ語ウィキに明記されている通り、マニャーゴの父は
民族的あるいは
人種的な意味でのイタリア人でした。つまり、代々南チロルに住んでいた、あるいは移住してきた家族で、南チロルに馴染み、ドイツ語の南チロル方言を話していたかも知れません。
第一次大戦で南チロルがイタリア領となってから、
ムッソリーニと
ファシスト党が台頭すると、南チロルの「イタリア化」が強行されました。ヒトラーとの合意の後は、南チロルの住民は
ドイツ帝国(第三帝国)への移住か、南チロルに残る場合にはイタリア語を使い、姓名もイタリア語化することが強制されました。ドイツ語の使用は禁止されたので、南チロルに残ったゲルマン系の住民は、子供たちのため秘密のドイツ語授業を行いました。当時のマニャーゴはドイツへ移住するほうを選択したのですが、移住する人々の財産見積もりなどの仕事していたのです。そして、そのままドイツ軍兵士として東部戦線へ向かいました。
昔、
ボーツェン(ボルツァーノ)へ行ったとき、更に南への列車に乗るため駅へ向かう途中、向こうから歩いてきた老人に、カタコトのイタリア語で道を尋ねました。その人の言葉に分からないところがあったので、ドイツ語で「ドイツ語を話しますか?」と尋ねたとたん、その人の顔がパッと明るくなりました。ゲルマン系の南チロル人だったのでしょうね。
南チロルには更に
キンブリ語を話す少数派住民が存在しますが、ややこしいので無視します