最近、
水木しげる版「方丈記」を読みました。
もう何年も前に岩波文庫の解説付き原文を読んだことがありますが、水木版がどんなものか興味があったのです
最初に原文を読んだときは、短い文章にもかかわらず、大作のような重厚さを感じ、大変疲れました。
鴨長明が生きたのは平安時代から鎌倉時代への激動期で、数々の社会的動乱に天災の続く時代でした。淡々と書かれているのですが、出来事と時代の重みが、読者にも重圧となるのだと思います。
水木版では、
「水木さん」が鴨長明を訪問して語り合っています。
九死に一生を得て戦地から生還した「水木さん」が支えてくれているためか、また飄々とした画風もあってか、疲れずに読めました。
方丈記と平家物語は同じ時代を扱っていて、最初の文章が文学的に大変美しく格調高く印象的です。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」
「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛きひともつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」
格調高い文体から、「平家物語」の著者も鴨長明ではないかという説もあるようですが、長明が大の平家嫌いなのに対し、「平家物語」は平家に同情的・好意的です。義経のことは「平家の公達の滓にも劣れり」と酷評しています
「水木さん」も仰っている通り、21世紀になっても大災害は繰り返し起こり、「無常」であることだけが「常態」です。
「平家物語」に言及した以前のみみずボログ記事
明快な現実
純粋人
3分と2分
ただのり