翠波高原から堀切り峠までが法皇スカイラインでそれから呉石高原へ向ってすぐに峰の地蔵が奉られている。
このあたりへ来るとなぜか必ずお参りするようになっていた。
200年以上前に建立されてその子孫の人達が周りを整備しているようだ。
金生町の人で子孫の中に山仲間の先輩がいる。
なんとなく彼女と似ている雰囲気だ。
整備している人達の中に同級生の名前もある。
バイクで来ても30分はかかる。
歩いて来れる距離とは思えないが歩くことが唯一の交通機関だった頃はさほど遠くない場所だったかもしれない。
今日”ギャラリー作唯”の前に横断歩道がつき交通標識が建つ説明を受けた。
今金生町では車がなくては生活がなりたたない社会になっている。
考えても無駄だが自分の足で歩いていける範囲で生活できていたころが一番不安がなかったのではないかとふと思う。
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唯の