二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

火の鳥はやってこない(ポエムNO.82)

2012年08月19日 | 俳句・短歌・詩集
氷でできた巨大なタンカーがぼくの胸のドックでゆっくりと溶けてゆく。 ぽっかりと空いた穴の底に色がひとつたりない虹のかけらや濡れて文字のにじんだ手紙や三日月型の恋人のイヤリングが落ちている。火の鳥はやってはこない。小麦畑のような広々とした母の胸で一頭の子鹿のように すやすやと幼児が眠っている。図書館にあった名画のかたわら。黒いイノシシがブルッと身震いし音楽ノートの音符のあいだに隠れる。ガードマンが十人ならんで西の空を見あげているけれど。火の鳥はやってこない。 . . . 本文を読む
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やがてロープの端から(ポエムNO.81)

2012年08月19日 | 俳句・短歌・詩集
凍った炎のような美しすぎる音楽から覚めてテーブルの反対側へと移動する。A地点から B地点へ。それだけできょう一日の風景が違ってみえる。 走れ はしれきみも絶滅危惧種。走れ はしれ。夕陽から夕陽へと 一本のロープをしずくのように渡って わたって。はしれ はしれ!北京原人に追いつく夢など捨てて。ナウマン象にも 北斎にも追いつけっこないのだからね。・・・おとといのきみ自身にすら。走れ はしれ疲れはてて倒れ 一握りの砂をつかむように“明日への希望”をつかむことだってある。 . . . 本文を読む
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クーベリックの帰郷

2012年08月18日 | 音楽(クラシック関連)
このところ、クラシック音楽づいていて、昨夜、紀伊國屋でクーベリックがボストン響を指揮しスタジオ録音した「わが祖国」を手に入れ、夕食後これを聴いてから眠りについた。90年にやったプラハの春でのライヴ盤にしようか、これにしようかとずいぶん迷った。クーベリックの「わが祖国」は、これまで6種ばかりの演奏がリリースされていて、初心者は選択がむずかしいところ・・・。批評家の評価は、ボストン響とやった1971年盤が、圧倒的に高いようなので、まあ素直にそれをしたがったというわけである(笑)。いままでの愛聴盤は、ノイマン指揮のチェコ・フィル。これがスメタナの「わが祖国」だと考えていると、クーベリックとの音づくりに違いがあって、はじめはいささか戸惑う。 . . . 本文を読む
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暮坂あたり(ポエムNO.80)

2012年08月17日 | 俳句・短歌・詩集
遠くの空で雷鳴がとどろく中 ようやくぼくは到着した「暮坂」という名の 峠道へ。ある年齢になると老いてあまり元気のない男や女が 肩に背負った重いおもい荷物をおろしにやってくる暮坂。地図をたよりに歩いてくることもできるが地図なんかなくてもいつかはだれもが ここを通る。 昼は昼で 夜は夜で荷おろしをする音がたえまなく聞こえる。「ここが暮坂なんですか?」「ええ ここが暮坂です」「こんなにはやく到着するなんて」 . . . 本文を読む
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塩をなめる

2012年08月16日 | 音楽(クラシック関連)
管理物件のマンションへ市の広報を配りにいったら、駐車場の雑草が眼について、40分あまりかけて草むしり。麦わら帽子をかぶり、直射日光をさけて作業したのに、おでこのあたりから、滝のような汗が・・・。日中はまだまだ、厳しい残暑がつづきそうだが、夜は秋の虫が鳴きはじめ、晩夏から初秋へと、季節は例年のごとく移ろいゆこうとしている。このあいだは、一汗流したあとで、料理用に用意した「岩塩」を少しなめてみた。そして、それを小さじ1/3ほどとって、氷を浮かべた水に溶かして飲んだら、これがうまかった(^_^)/~ よくあるスポーツ・ドリンクより「あと口」がいい!若いころはそうでもなかったのに、いつからこんなに汗っかきになったものだろう?この夏は猛暑にめげてしまったこともあるけれど、 . . . 本文を読む
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ツクツクボウシが手のひらにとまって鳴きだした

2012年08月15日 | Blog & Photo
今日で4日間の夏休みが終わり。中ちょっと仕事が入ったりしたので、あっというまに過ぎていった、2012年の夏(^^;)夏バテ気味で体調があまりすぐれず、やむをえない場合をのぞいて外出はせず、名曲鑑賞にばかり明け暮れた夏休みだった。一日あたり4曲として、16枚は聴いたかな? いま流れているのは、ポリーニがグラモフォンから出した「さすらい人幻想曲/幻想曲ハ長調」(シューベルト、シューマン)。わたしはピアニストは、なぜか好き嫌いが激しく、ポリーニははっきりいって、嫌いなピアニストの最右翼。アルゲリッチも好きではないが、ポリーニほどではない。聴きたかったのは、シューベルトの「さすらい人幻想曲ハ長調」。 以前の愛聴盤は、アルフレッド・ブレンデルだったが、あいにく行方不明となったまま。数年前、ペライア盤を買って聴いたけれど、物足りなかった。 . . . 本文を読む
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どなたかお教え下さい(カミキリムシの同定)

2012年08月15日 | Blog & Photo
カミキリムシの同定は、ほんとうにむずかしい。なぜかというと、わたしが採集をしないからであろう。上にあげたのは、8月2日に、河川敷で見かけ、サビカミキリの仲間と考えて調べていたカミキリムシ。ナカゴマフカミキリの可能性大だと思うのだけれど、まったくのところ、確信がもてない(^^;)どなたかご存じの方がいたら、お教えくださ~い♪ 一方こちらは、ヒメアカタテハのクローズアップ。自宅の近所で、数日前に撮影し、カードリーダー経由でPCにアップしようとしたところ、SDカードが壊れた。おそらく、静電気のいたずらだろう。使用していたのは、ダブルスロットルをもつ、D7000の一枚目のSDカード、8GB。撮影済みのおよそ300枚が、一瞬にして消えた(=_=) . . . 本文を読む
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涙なんか流したことがないように(ポエムNO.79)

2012年08月14日 | 俳句・短歌・詩集
このあいだ田村隆一さんの詩のアンソロジーを読んでいたら死者への追悼詩編がぞろぞろならんでいたのでぼくはちょっと・・・なんていうのか 脚が一本たりず腰かける人のいない椅子のように悲しくなりそのあとCDをかけてモーツァルトとブラームスの「クラリネット五重奏曲」を聴いてすごした。八月は死者たちがあの世から客にやってくる季節。歳をとって感覚器官が鈍くなるとそれに応じて親しかった世界がぼくから すこしずつ遠ざかる。その分 星々への距離がちぢまる。星々とはこの場合 ぼくが迎えねばならないあの世からの客――のことだけれど。不世出の作曲家二人は 晩年にちかくなってまるで前世からの申し合わせでもあったように すばらしいクラリネットの五重奏曲をぼくらに残した。 . . . 本文を読む
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アポロン的ディオニソス的

2012年08月12日 | 音楽(クラシック関連)
昨日、仕事帰りに紀伊國屋へ立ち寄ったら、フルトヴェングラー指揮の「交響曲第9番“ザ・グレート“」(1951年盤 グラモフォン)がふと眼についたので、買ってきて聴いた。ほんとうは、わたしごときがフルトヴェングラーを取り上げる資格などないのだが、まあ、お許しいただいて、ほんのちょっと書いておこう。このシューベルト最後の交響曲は、わたしにとって必要欠くべからざる、大事な一曲で、これまで何回聴いたかわからない。ハ長調の交響曲がシューベルトにはほかにもう一曲あるので、大ハ長調とか、グレートとかいって、区別されている。その後の研究成果を踏まえ、9番ではなく8番と表記されることもよくあるが、ここでは9番としておく。わたしの愛聴盤は、ジョージ・セルがクリーヴランド管弦楽団を指揮したもので、録音年月日は1957年、「未完成」とカプリングされたSONY CLASSICALシリーズの一枚。ストレス指数があがって、精神的に煮つまってしまうと、気分がどーんと落ち込んで、浮かび上がれないことがある。そんなとき、わたしをその暗い淵のような場所からすくい上げてくれた何曲かのうち一曲が、これであった。 . . . 本文を読む
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ONCE UPON A TIME(ポエムNO.78)

2012年08月11日 | 俳句・短歌・詩集
1いい年をしたおやじが「金子みすゞはいいなあ」とニヤニヤしたり あらたな借金を背負ってしまってその反動から激辛大盛りカレーをふうふういいながら食べたり缶コーヒーを買ったら一本おまけがもらえたことを友人に吹聴したり煙の出ない煙突にのぼって「自殺してやる!」と喚いたりやたらこむずかしい分厚い本から眼をあげてミニスカートをはいた女の子の後ろ姿に見とれたりいつ死んでもいいのよわたしは といいながら 血圧計の数値に一喜一憂したり。・・・世の中には不可解なことが多すぎる。その半分はぼく自身の自画像とはいえ。2ハトが数羽 グルッ グルッとのどを鳴らしながら出窓の庇の上を歩き回っている。 . . . 本文を読む
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