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爪の縦筋は加齢によるもの

2014-03-10 | つぶやき
手の爪に 縦の筋があります  (特に薬指)
特に 生活に支障がなかったので あまり気にかけていませんでした

ところが 最近 その縦筋に沿って 割れ目が入ってしまいました
その割れ目が 服の繊維にひっかかって 痛かったので 今日 皮膚科に行きました


先生は「歳を取ると そうなり易いのです。 心配はいりません」とおっしゃいます
爪を作る成分(肝臓から分泌される何とかいうもの)が 歳と共に減ってくるんだそうです

割れ目の入ってしまった爪には マニキュアを塗っておけば ひっかからない
あとは 保湿に努め 手や指が 乾燥しすぎないように 注意すること…だそうです


「ハンドクリームを こまめに よく塗り込んでおいてもいいんだけどね~」
みたいな感じで 薬も なくてもよいような口ぶりでしたが… 一応軟膏が出ました



「加齢現象だから 仕方ない」とまでは 言わないけれど
本音は そういうことみたいで ニコニコと 何の心配もなさそうに お話されてました


軟膏は 夜寝る前だけにして あとは こまめにハンドクリームをつけ
特に 指先まで 丁寧に塗り込むようにしてみます

ふつうの人より 元々 爪が薄い感じがします


友達が 「医者に行くと 何でもかんでも 加齢 加齢で 済まされちゃう」
と 怒っていましたが 70歳前でこれでは 先が思いやられますなぁ~

 




 

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JR横須賀線と若宮大路・段葛

2014-03-10 | 横須賀水道路
横須賀水道は 旧海軍が敷設した水道【1912年(明治45)着工・1918年(大正7)通水】ですが
JR横須賀線も 海軍が 敷設したものだということを 級友から聞きました

ネット上でも こんなふうに説明されています

もともと横須賀線は日本海軍の軍港都市として知られた
横須賀への連絡を目的として建設された路線であり、

現在の北鎌倉駅付近では円覚寺境内を横切り
また鎌倉駅付近では鶴岡八幡宮の段葛を寸断して線路が敷設されるなど、
用地買収も比較的強引に行われた
  出典



ふ~ん 段葛まで 壊されたのか~!
さらにいろいろ調べてみると…   こんな記事も

明治21年、横須賀線の工事が始まったことによって、
二の鳥居から南の段葛が壊されてしまいます。

横須賀線の線路はかなり高い位置に敷設されました。
そのため、若宮大路も横須賀線の線路を頂上とする坂道にしなければなりませんでした。
そして、段葛は壊されました。

現在は、その坂道もなくなりガードとなっていますが・・・。
   出典


こんな記事も

明治二十一年(1889)に始まったJR東日本、横須賀線開通工事等に伴い、
二鳥居以南の段葛は失われた。

当初は段葛を崩して若宮大路を横切る線路を渡るのに坂を登り降りして
線路の踏切をわたっていた

その後若宮大路を掘り下げて、立体交差にした
その為 大雨の度に冠水のある大路となった。
  出典


↑の 3つの記事を読んで 「そうだったのか!」と 気づいたことがあります
若宮大路の上を走る 横須賀線のガードが ちょっと 変なのです
ずっと 不思議に思っていました

それは 車道部分が 歩道部分より 1メートル近く 掘り下げてあることです
歩道部分より 低くなっているのが なぜなのかな~? と 疑問だったのです

当然 ガード下の歩道部分は ガードに 頭が突っかかりはしないまでも
ガードが低く感じられて 圧迫感があるのです


ガードは 鎌倉の産直野菜を売っている市場の近くで いつも通っているので
長い間 なんだか気になっていたのが 理由が分かって スッキリしました


昨日の午後 突然思い立って このガード下の 写真を撮りに 行きました
病気になって以来 電車で鎌倉へ行くのは 1年半ぶり?
電車の乗り換えで もたついたりしながらも なんとか行ってきました

まずは 二の鳥居   この先は 八幡宮ですね



二の鳥居から 南(海側)へ続いていた 段葛が 失われたということらしいです

次は 横須賀線ガードの 全景 ↓




ガードの橋脚の下が 下がっているのが 分かりますよね





市場の前(向かい側)の 横断歩道の階段 ↓
歩道の方が 高いから 車道に下りる 階段が必要なわけです



ガードを見ていたら たまたま 横須賀線の電車が 通りました ↓



バスの高さを見ると 車道を掘り下げないと 無理だったことが分かります


時間がなかったけれど 市場の中のパン屋さん パラダイスアレイで 10分だけ休憩
黒い りんごのフォカッチャと カフェオレ
黒いのは 炭の粉なんですって



フォカッチャは 半分 持ち帰り



テーブルには まだ 熱い パンが…  美味しそう!



大巧寺にも ちょこっと寄って 椿の写真を2枚





毎度毎度の 大急ぎ外出  鎌倉滞在は 1時間だけでした


実は 横須賀線は 大船~鎌倉しか 乗ったことがないので
行く途中 鎌倉で降りないで 逗子まで 乗って行ってみました



春になったら 鎌倉~逗子を 歩くつもりなので  
ちょっと 距離感を つかみたかったからです

あと 横須賀水道路が ほぼ 横須賀線に沿っているらしい? ので
線路の両側を 観察しておきたかったからということもあります


ただ 駅に降り立っただけで 周囲を歩く時間もありませんでした
すぐに 鎌倉に戻りました



この記事を書きながら 気づいたことがあります

横須賀線の敷設と 横須賀水道路の敷設を 年代的に比べると
横須賀線(鉄道)の方が 20年以上 早く造られたことが分かりました

明治21年と言えば 日清戦より前
明治政府が 富国強兵策を おし進め始ていた頃なのでしょうか?

その頃から 横須賀は 軍港として 重要な役割を持っていたのでしょうか?
幕末に ペリーが黒船で来航したのも 横須賀市の浦賀ですものね
















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