旅と歴史

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群馬県妙義山の中腹中之嶽神社です。

2006年09月23日 | 旅 歴史
 数々のコメント有り難うございます。メイルが記載されている場合はご返事をしていますがそれ以外はごめんなさい。neorinさん西国三十三箇所これから掲載していきますのでご期待下さい。
 中之嶽神社は妙義山の中腹に位置し、寿永元年(1182)欽明天皇の時代に創建された古社で日本武尊を祀っています。大黒尊天霊場でもあります。第52代嵯峨天皇の勅命により、弘仁九年(819年)大納言藤原冬嗣卿と弘法大師が登嶽し、大国主神出雲大社の分社として創設されたそうです。中之嶽神社はその轟岩を御神体としているので拝殿・幣殿のみで本殿がない珍しい様式となっています。 大和時代の第29代欽明天皇(在位539-571年)の御代に妙形氏が社殿を建立したそうです。平安末期、第82代後鳥羽天皇の寿永2年(1183)藤原祐胤卿が神剣を奉納したそうです。江戸時代に入ると、第108代後水尾天皇の元和2年(1616)加藤長清(道士)が登厳し中興の開山主として神器を守り奉斉し、諸大名が崇敬を寄せるようになったそうです。奇岩怪石が屹立する妙義の金洞山(1104m)には戦国時代から江戸時代初期にかけて実在したとされる「長清」道士の天狗伝説が残っています。加藤長清は戦国時代小田原の北条氏に仕えていた武士の家に生まれたそうです。道士の父親は殺されてしまったそうです。自分の未熟な剣の腕では仇討ちなど到底無理であることを悟り、剣術の修行のために金洞山に篭り数年間の厳しい修行を積み、ついには剣の極意を究めたそうです。父親の仇を探し出し一撃のもとに相手を斬り見事に宿願を果たした道士は仏門に入りました。そして名を「長清」と改めました。そして金洞山に戻ると悟りへの修行に没頭し、病気を治すという奇跡などもしたといわれています。
 死後、道士は妙義山に棲息する天狗の頭領となり、大勢の天狗を率いて今でも山岳仏教の修行者や山中の神社の崇敬者を見守っているといわれているのです。
コメント (1)
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