福島県河沼郡(かわぬまぐん)会津坂下町(あいづばんげまち)大字塔寺字大門にある旧五十嵐家住宅です。
旧五十嵐家住宅は恵隆寺(立木観音)の隣にあります。もともとは中開津の五十嵐智信氏の所有でしたが、昭和43年(1968)に会津坂下町に寄贈された建物です。
昭和30年(1955)頃までは住居として使われ、その後は物置として使用されてきたため、比較的改造の少ない旧形状で保存されていました。当時の会津平坦部の中堅農家(本百姓)の住宅の様子を今に伝えています。
昭和43年(1968)に福島県の重要文化財に指定され移築復元されました。その際「享保14年(1729)の墨書」が屋根の梁上の小屋束の溝から見つかり、建築年代の明らかな建物として、昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されました。
建物は、桁行8間半、梁間3間半の寄棟造り、茅葺きの直屋です。正面に向かって左寄りに「とんぼぐち」があります。敷地内には旧五十嵐家の厠(桁行2間、梁間1間)と旧古川家籾倉(桁行2間、梁間2間、江戸中期~後期)が移築保存され、平成8年(1996)に会津坂下町の有形民俗文化財に指定されています。
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http://ogino.okoshi-yasu.com/
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旧五十嵐家住宅は恵隆寺(立木観音)の隣にあります。もともとは中開津の五十嵐智信氏の所有でしたが、昭和43年(1968)に会津坂下町に寄贈された建物です。
昭和30年(1955)頃までは住居として使われ、その後は物置として使用されてきたため、比較的改造の少ない旧形状で保存されていました。当時の会津平坦部の中堅農家(本百姓)の住宅の様子を今に伝えています。
昭和43年(1968)に福島県の重要文化財に指定され移築復元されました。その際「享保14年(1729)の墨書」が屋根の梁上の小屋束の溝から見つかり、建築年代の明らかな建物として、昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されました。
建物は、桁行8間半、梁間3間半の寄棟造り、茅葺きの直屋です。正面に向かって左寄りに「とんぼぐち」があります。敷地内には旧五十嵐家の厠(桁行2間、梁間1間)と旧古川家籾倉(桁行2間、梁間2間、江戸中期~後期)が移築保存され、平成8年(1996)に会津坂下町の有形民俗文化財に指定されています。
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