伊佐須美神社は福島県大沼郡会津美里町字宮林甲にあります。
古事記によれば、崇神天皇の命により高志(北陸)に派遣された大毘古命(おおびこのみこと)と、その子で東の方十二道(東海)に派遣された建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)が相津(会津)で行き会いました。そこで会津と名付けられたと記述されています。
この時、国土開拓の祖神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)を天津嶽に祀って伊佐須美神社が創祀されました。その後、博士山・明神岳を経て、欽明天皇13年(552)に現社地へ遷座し、大毘古命・建沼河別命も合祀されたそうです。
伊佐須美神社は会津総鎮守、奥州二宮、岩代一宮です。歴代領主からも崇敬され、室町時代後期に芦名盛安から寄進された金色の神輿は国の重要文化財に指定されています。御田植祭は日本三大田植祭に数えられ、催馬楽、獅子追い、田植人形など古来から伝わるもので福島県最古の形式を伝えています。
平成20年(2008)10月3日に火事が起き、拝殿授与所が焼失しました。さらに同月の29日にも出火し、本殿、神楽殿、神饌所などが全焼してしまいました。本殿は平成25年(2013)に再建されるそうです。
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この時、国土開拓の祖神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)を天津嶽に祀って伊佐須美神社が創祀されました。その後、博士山・明神岳を経て、欽明天皇13年(552)に現社地へ遷座し、大毘古命・建沼河別命も合祀されたそうです。
伊佐須美神社は会津総鎮守、奥州二宮、岩代一宮です。歴代領主からも崇敬され、室町時代後期に芦名盛安から寄進された金色の神輿は国の重要文化財に指定されています。御田植祭は日本三大田植祭に数えられ、催馬楽、獅子追い、田植人形など古来から伝わるもので福島県最古の形式を伝えています。
平成20年(2008)10月3日に火事が起き、拝殿授与所が焼失しました。さらに同月の29日にも出火し、本殿、神楽殿、神饌所などが全焼してしまいました。本殿は平成25年(2013)に再建されるそうです。
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