杉木立にかこまれ、荘厳なたたずまいをみせる
延暦寺は、かずかずの名僧を輩出した天台宗の総本山です。比叡山には延暦寺という名の建物はありません。比叡山そのものが延暦寺を表わしているのです。その寺域は広大で、標高848mの比叡山の山中に数百の建物があり、東塔・西塔・横川(よかわ)の三地域に分かれています。延暦7年(788)、京都の北東の鬼門にあたる比叡山の山頂に、唐へ留学した伝教大師最澄が帰国後、平安京鎮護のために一乗止観院という草庵を建てたのが始まりです。 最澄没後の弘仁14年(823)嵯峨天皇より延暦寺の寺号を賜りました。円澄が西塔、円仁が横川を開き、東塔(根本中堂)と合わせて三塔が成立しました。延暦寺の強大な力を恐れた織田信長は元亀2年(1571)全山を焼き討ちにしました。この時、延暦寺は根本中堂をはじめ大半の建物を失ったのです。
その後豊臣秀吉や徳川家康らによって再建されました。家康の死後、天海僧正により江戸の鬼門鎮護の目的で上野に東叡山寛永寺が建立されてからは、宗務の実権は江戸に移りました。東塔には、延暦寺の中心である国宝の根本中堂をはじめ、戒壇院、阿弥陀堂、山王院など主要伽藍が建ち、西塔には、法華堂、常行堂、釈迦堂など、横川には横川中堂、恵心堂などが静かに建ち並んでいます。根本中堂には「不滅の法灯」が1200年の間、輝きつづけています。平成6年(1994)12月「古都京都の文化財」の一つとして世界文化遺産登録されました。