『20世紀少年』を(『21世紀少年』も)読み終えた。面白いストーリーだった。時間軸の上を行きつ戻りつしながらストーリーは展開していくが、もし連載開始の時点でこれだけのものを構想していたのなら、浦沢直樹という人、とてつもない構想力の持ち主である。長期連載のコミック、たとえば『ドラゴンボール』や『北斗の拳』は、連載が長期化する中で(長期化させる必要から)、過去のエピソードが明らかに後付で創作されていくことがよくある。しかし、『20世紀少年』にはそうした痕跡は見られない。この「ぶれのなさ」は大したものだと思う。私がNHKのディレクターなら、大河ドラマの時間枠で『20世紀少年』をやってみることを提案するだろう(通らないと思うけど)。それなら全24巻を忠実に再現できるだろう。ネットを見ると、最後の二代目の「ともだち」が誰であるかが明らかにされる場面がいろいろと話題になっているようであるが(○○○○君って誰?そんな人いたっけ?)、私はあの結末に全然違和感がない。ああいう影の薄い人物が「ともだち」(二代目)の正体であるところにこそ意味があるのだと思う。人類滅亡を企てる人物が、子ども時代、誰の記憶にも残っていないような人物であったというところが怖いのだ。
「友情、努力、勝利」というのは少年漫画の一つの公式だが、『20世紀少年』はこの公式にあてはまる。ただし、『20世紀少年』では「友情」というものが再帰的なテーマとなっているところに大きな特徴がある。ケンジの呼びかけに応えて小学校時代の仲間が集結する(一度は逃げ出した仲間も遅れてかけつける)というところは古典的な「友情」だが、事件の発端が子ども時代の同年齢集団の力学的な構造に由来してるというところに新味があり、それが友人関係で非常なエネルギーを消耗している現代の若者たちに響くところでもあるのだろう。

現実の世界では、福田総理の突然の辞任発表が波紋を呼んでいるが、次の総理が権力欲むき出しての人物になることは明らかで、意外な人の出てくる余地はない。そのわかりやすいストーリーに不気味なところがあるとすれば、安倍総理、福田総理とあっさり政権を投げ出す「弱い総理」が続いた反動で、「強い総理」を待望する空気が膨れ上がることだが、心配無用、次の総理は「強がる総理」かもしれないが「強い総理」ではない。本当に怖いのは、みんなが政治に何も期待しなくなることだ。安倍総理のときも福田総理のときも、新総理誕生の直後は内閣支持率は高まった。それは政治への期待があるからだ。もし新総理が誕生しても内閣支持率にそれが反映しないような事態になったら、こういうことが続けばいずれそうなるだろう、それはとても不気味な時代だと思う。
「友情、努力、勝利」というのは少年漫画の一つの公式だが、『20世紀少年』はこの公式にあてはまる。ただし、『20世紀少年』では「友情」というものが再帰的なテーマとなっているところに大きな特徴がある。ケンジの呼びかけに応えて小学校時代の仲間が集結する(一度は逃げ出した仲間も遅れてかけつける)というところは古典的な「友情」だが、事件の発端が子ども時代の同年齢集団の力学的な構造に由来してるというところに新味があり、それが友人関係で非常なエネルギーを消耗している現代の若者たちに響くところでもあるのだろう。

現実の世界では、福田総理の突然の辞任発表が波紋を呼んでいるが、次の総理が権力欲むき出しての人物になることは明らかで、意外な人の出てくる余地はない。そのわかりやすいストーリーに不気味なところがあるとすれば、安倍総理、福田総理とあっさり政権を投げ出す「弱い総理」が続いた反動で、「強い総理」を待望する空気が膨れ上がることだが、心配無用、次の総理は「強がる総理」かもしれないが「強い総理」ではない。本当に怖いのは、みんなが政治に何も期待しなくなることだ。安倍総理のときも福田総理のときも、新総理誕生の直後は内閣支持率は高まった。それは政治への期待があるからだ。もし新総理が誕生しても内閣支持率にそれが反映しないような事態になったら、こういうことが続けばいずれそうなるだろう、それはとても不気味な時代だと思う。