今日は、日中、自宅にずっと一人だった。娘は会社、息子は大学(部活)、妻はビーズ&ワイヤーアクセサリーの講習、そして母は町内のバス旅行で山梨へ行っている。これはわが家では比較的珍しいことである。「咳をしてもひとり」(放哉)である。飼い猫のはるがいるだけだ。はるは一昨日の定期健診で肝機能の値がよくないことがわかり、大好きな鰹節禁止(塩分が多い)、一週間薬を飲んで再検査ということになった。一日二回、食後に粉薬を飲ませるのだが、「はい、薬だよ。あ~んして」と言って言うとおりにするわけではないので、妻が無理矢理口を開けさせ、私が間髪を入れずに薬を投入する。それが何回か続くと、私と妻が両方そろって自分の前に現れると、「やばい」と感じるのであろう、その場から逃亡を図ろうとするようになった。しかし、今日は私一人であるから、はるも寛いでいた。
お昼頃に雨が降り、あわててベランダの洗濯物を取り込む。雨が降り始めたことに気づくのが遅れ、一部がちょっと濡れてしまった。3時を過ぎたあたりで、郵便局に本の代金を振り込みに行きがてら散歩に出る。「テラス・ドルチェ」で遅い昼食(炒飯と珈琲)をとり、1時間ほど読書。そのあと栄松堂に寄って、以下の本を購入。
宮田道一『東急の駅今昔・昭和の面影』(JTBパブリシング)
森正人『大衆音楽史』(中公新書)
三浦展『格差社会のサバイバル術』(学研新書)
後藤和智『おまえが若者を語るな!』(角川oneテーマ21)
『東急の駅今昔・昭和の面影』には私が子どもの頃の目蒲線・池上線の蒲田駅前広場の写真が載っている。改札を出て、すぐ右手に街頭テレビがあって、大相撲中継などをたくさんの人が観ていたのが印象に残っているのだが、写真にはちゃんとその街頭テレビが写っていた。蒲田駅だけでなく、東急線のすべての駅舎の写真(現在と過去)が載っていて、東急線と縁のある(あった)人間にはこたえられない本である。私は、通っていた高校があったのが目蒲線(現在は目黒線)の武蔵小山、大学生の頃にアルバイトをしていた学習塾があったのが目蒲線(現在は多摩川線)の矢口の渡、結婚して最初に住んだ町が東横線の綱島、妻の実家が田園都市線の鷺沼というように、東急線とはずいぶんと縁がある。東急線で好きだった駅を一つあげるとすれば、多摩川園前(現在の多摩川)だろうか。ホームが高架で見晴らしがよく、多摩川と多摩川園(遊園地)のある祝祭的な雰囲気の駅だったが、多摩川園の閉園に伴って、多摩川園前→多摩川園→多摩川と駅名が改称されてきた。東横線の学芸大学や都立大学が、大学そのものは移転してしまっても(都立大は名前まで変わってしまった)、駅名はそのままであるのと比べると、なんだか不憫な気がしてならない。
お昼頃に雨が降り、あわててベランダの洗濯物を取り込む。雨が降り始めたことに気づくのが遅れ、一部がちょっと濡れてしまった。3時を過ぎたあたりで、郵便局に本の代金を振り込みに行きがてら散歩に出る。「テラス・ドルチェ」で遅い昼食(炒飯と珈琲)をとり、1時間ほど読書。そのあと栄松堂に寄って、以下の本を購入。
宮田道一『東急の駅今昔・昭和の面影』(JTBパブリシング)
森正人『大衆音楽史』(中公新書)
三浦展『格差社会のサバイバル術』(学研新書)
後藤和智『おまえが若者を語るな!』(角川oneテーマ21)
『東急の駅今昔・昭和の面影』には私が子どもの頃の目蒲線・池上線の蒲田駅前広場の写真が載っている。改札を出て、すぐ右手に街頭テレビがあって、大相撲中継などをたくさんの人が観ていたのが印象に残っているのだが、写真にはちゃんとその街頭テレビが写っていた。蒲田駅だけでなく、東急線のすべての駅舎の写真(現在と過去)が載っていて、東急線と縁のある(あった)人間にはこたえられない本である。私は、通っていた高校があったのが目蒲線(現在は目黒線)の武蔵小山、大学生の頃にアルバイトをしていた学習塾があったのが目蒲線(現在は多摩川線)の矢口の渡、結婚して最初に住んだ町が東横線の綱島、妻の実家が田園都市線の鷺沼というように、東急線とはずいぶんと縁がある。東急線で好きだった駅を一つあげるとすれば、多摩川園前(現在の多摩川)だろうか。ホームが高架で見晴らしがよく、多摩川と多摩川園(遊園地)のある祝祭的な雰囲気の駅だったが、多摩川園の閉園に伴って、多摩川園前→多摩川園→多摩川と駅名が改称されてきた。東横線の学芸大学や都立大学が、大学そのものは移転してしまっても(都立大は名前まで変わってしまった)、駅名はそのままであるのと比べると、なんだか不憫な気がしてならない。