フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月7日(日) 晴れ、夕方から雷雨

2008-09-08 00:07:04 | Weblog
  午後、昼食(ラーメン)の後、一休みしてから、庭木の刈り込み作業を決行する。生垣の赤目はとても生命力があり、一年に2回(梅雨の頃と夏の終わり)刈り込みをしないとならない。雨が降っていないこと、陽射しがそれほどきつくないこと、家族の手伝いがあること、この3つの条件がそろわないと作業にならないので、8月下旬はなかなか作業ができずにいたが、今日、ようやく条件が整ったのである。私と妻と息子の3人で行ない、チームワークよろしく、1時間ほどで終了(さっさとやらないと熱中症の危険があるのだ)。

       

  息子に千円札を渡し、コンビニでアイスクリームとアイスキャンデーを買ってきてもらう。玄関先に座って、アイスキャンデーをほおばる。見上げると、雲の背後から夏の残光が放射されていた。妻と息子がシャワーを浴びるのを待つ間、一階の和室の畳の上に大の字に寝そべり、扇風機にあたっていた。あまりに気持ちがよかったので、二階から「シャワー使えますよ」という妻の声がしてからも、しばらくの間、去り行く夏を惜しみならが、そこで寝そべっていた。

           

  夕方、ちょっと散歩に出ようと思っていたら、突然、雷が鳴り始めた。でも、雨はまだパラパラという感じだったので、傘を差して散歩に出たところ、ものの5分としないうちに土砂降りになり、ズボンはずぶ濡れ、靴の中もグチョグチョになった。駅の方からは傘を持たない人達が鞄を頭の上にかざしながら走ってくる。雨宿りをしたらよさそうなものだと思うが、そうもしていられない事情があるのだろう。私が雨に濡れるのを覚悟で行ったのは駅前の古本屋「一方堂書林」。入り口あたりの平台にはエロ本が並べられ、店内の書棚にはちゃんとした古書が並んでいるある意味で正統派の古本屋なのだが、昨日の夕方に散歩で立ち寄ったときには、エロ本の上に黒猫が鎮座していた。私は、奥野健男『素顔の作家たち』(集英社、1978年)と小野正文『太宰治をどう読むか』(弘文堂、1962年)の2冊を購入し、もう1冊、奥野健男『文学における原風景』(集英社、1972年)も購入しようと思ったが、これは書庫にあったような気がして、棚に戻したが、帰宅して調べてみると、それは私の勘違いで書庫にあるのは奥野の別の本だった。それで今日雨の中を買いに出かけたのだが、店の前に行ってみると、シャッターが下りていた。日曜が定休日なのか、それともこの雷雨で早々にシャッターを下ろしたのかはわからない。

           
                   これは昨日の写真