フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月26日(金) 曇り

2008-09-27 09:56:17 | Weblog
  7時、起床。いつになく早いのは9時から大学院の二次試験(面接)があるからである。8時15分蒲田始発の電車が5分遅れたため、地下鉄への乗り換えのとき、東京駅から大手町駅まで走るはめになったが、ジムでのトレーニングの成果であろう、息切れをすることはなかった。大学には9時ちょうどに到着。ただし、戸山キャンパスの入口に着いたのが9時ちょうどだったので、同僚の先生にケータイで「いまスロープを登っています」と伝えたが、「登っています」ではなく「走っています」と言うべきだった。面接は2時間ほどで終了し、その後、社会学の教室会議。昼食は久しぶりに「秀永」で定番の木耳肉(ムースーロー)定食。4時からの文研委員会まで研究室で雑用。文研委員会は30分足らずで終了し、その後、現代人間論系の教室会議。今日はあれこれの事情で出席者は通常の半分。来年度の時間割案(ver.1)を提示し、問題点の改善のための相談。もちろん今日一日で終る話ではなく、これから微調整(必ずしも「微」ではないかもしれない)を続けながら、10月中旬を目処に仕上げていく。
  今日は7時から新宿文化センターで早稲田大学交響楽団の秋季演奏会がある。それを意識したわけではないのだが、会議は6時に終了。所要時間1時間半(授業1コマと同じ)は常にかくありたい理想的な長さではないだろうか。「ごんべえ」で軽めの夕食(かまあげうどんをかやくご飯抜きで)をとってから、馬場下の交差点でタクシーを拾って、新宿文化センターへ(10分ほどで到着)。本日の演目は以下の3曲。

  C.P.E.バッハ「シンフォニアハ長調」
  J.S.バッハ=シェーンベルク「プレリュードとフーガ変ホ長調」
  R.シュトラウス 「交響詩 英雄の生涯」

  危惧していたのは、寝不足と朝からの疲れで居眠りが出てしまうのではないかということだった。案の定、1曲目と2曲目は途中でフッと意識が途切れる瞬間が何度かあった。カール・フィリップ・エマニュエル・バッハはヨハン・セバスチャン・バッハの20人の子ども(!)のうちの次男である。フリードリヒ2世の宮廷音楽家として活躍したが、自らが卓越したフルート奏者でもあった君主の好みにはあまり合わなかったようで、年俸は宮廷音楽家の中の最低であったという。偉大な音楽家を父親にもったことのプレッシャーも相当なものだったはずだ、と彼の境遇に同情しながら聴いていたら、ついうとうととしてしまったのである。しかし、20分の休憩を挟んだ後の3曲目は全然そんなことはなかった。むしろ反対に、聴けば聴くほど目が冴えてしまった。音量が大きかったとかそういうことではない。楽器たちが歌っているのだ。楽譜どおりに音を出してますというのではなくて、生き生きと歌っている。とりわけコンサートマスターの安田真理奈さん(人間科学部3年)のバイオリンソロが素晴らしかった。彼女の演奏は強い磁場をもっていて、ちょうど砂鉄の中に磁石を入れたときみたいに、彼女のバイオリンの奏でる歌に周囲の楽器が一定の方向性をもって生き生きと反応しているのだ。素晴らしかった。これぞオーケストラ。音大ではない大学にこれほどのオーケストラが存在するということに改めて驚いた。指揮は山下一史。
  アンコール曲も終わり、腕時計を見ると、午後7時10分。なんと開演から10分しか経過していない。一瞬、邯鄲(かんたん)の夢かと思ったが、なんのことはない、時計の電池が切れたのである。いまの時計はだんだん止まるのでなくて、何の前触れもなく突然止まるのでいつも戸惑う。新宿文化センターから新宿駅までの15分ほどの道をみんなの後をついて歩く。遊歩道の途中に有名な(しかし酒飲みでない私は足を踏み入れたことのない)ゴールデン街があって、ものめずらしかった。藤圭子の「新宿の女」(1969年)が聞こえてきそうだ。10時過ぎに帰宅。クラシックの世界から演歌の世界を経由して日常的世界に帰還した。残り物のカレーライスを食べる。

         
             ♪私が男になれたなら 私は女を捨てないわ