昨日、今日と久しぶりに晴天が続く。過ぎ去り行く夏が、忘れ物を取りにちょっと戻ってきたような感じだ。でも、見上げる空の雲はもう秋の雲だ。午後3時になったのでジムへ行く。先週はちょっと風邪気味でジムは休んでいたので、一週間ぶりだ。5分間のウォーキングと10分間のランニングを3セット。本当は4セットのつもりだったのだが、疲れたので無理はしないことにした。冷水機の水を飲んで、顔と首筋を冷水で拭いて、ベンチに腰を下ろす。ジムの中なので風はない。高校生の頃、クラブ活動はバドミントンをやっていたが、バドミントンに風は厳禁なので、夏でも締め切った体育館の中で練習をしていた。休憩時間になるとドアを開け放って外に出て、木陰に腰を下ろした。そのときの風の気持ちいいことといったらなかった。この風に吹かれるひと時のためにきつい練習をしていたようなところがあった。将来の不安といったようなものは、あるにはあったのだろうが、あまりに漠然としていて、ないも同然だった。だから風に吹かれる気持ちよさといういまこの瞬間の身体感覚を心から満喫することができたのだろう。いまのジムでのトレーニングで、あのときの風の機能を代替しているのは、ロッカールームの熱いシャワーと帰りに立ち寄る喫茶店の冷たい飲み物だ。テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』の主人公ブランチも言っている。
「熱いお風呂から上がって、冷たい飲み物をグーッとやると、人生が光り輝いているように見えるわ!」
ブランチは長らく現在志向、あるいはその極端な形としての刹那主義で生きてきた女性だが、年をとって、おのずと忍び寄る将来の不安に怯えながら生きている。その不安を一時的ではあれ払拭するのが、「熱いお風呂」と「冷たい飲み物」なのである。「熱い」「冷たい」といった身体感覚は現在志向の特徴である。トレーニングをして汗をかき、身体を疲労させることは、「熱いお風呂」と「冷たい飲み物」のリフレッシュ効果(生き返った感覚)をより大きなものにする。山積した課題に前向きに取り組もうという気分にもなる。これ、ほんとである。
「熱いお風呂から上がって、冷たい飲み物をグーッとやると、人生が光り輝いているように見えるわ!」
ブランチは長らく現在志向、あるいはその極端な形としての刹那主義で生きてきた女性だが、年をとって、おのずと忍び寄る将来の不安に怯えながら生きている。その不安を一時的ではあれ払拭するのが、「熱いお風呂」と「冷たい飲み物」なのである。「熱い」「冷たい」といった身体感覚は現在志向の特徴である。トレーニングをして汗をかき、身体を疲労させることは、「熱いお風呂」と「冷たい飲み物」のリフレッシュ効果(生き返った感覚)をより大きなものにする。山積した課題に前向きに取り組もうという気分にもなる。これ、ほんとである。