フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月8日(月) 晴れ

2008-09-09 03:03:44 | Weblog
  夏休みも残すところ3週間となった。まだ3週間あると考えるか、もう3週間しかないと考えるか、基礎演習の学生たちのBBSへの書き込みを見ていると、彼らは一様に後者の感覚のようだが、私は前者である。努めてそう思うようにしているというのもあるが、実際、8月中よりも9月に入ってからの方が時間の流れがいくらか緩やかになったように感じる。たぶん私にとっては8月が夏休み本番で、9月は「おまけ」というか、「カーテンコール」というか、夏休みの余韻に浸るという気分なのだ。このまま気持ちよく余韻に浸って、気づいたら冬休みになっていた、なんてことはないよな・・・。
  午後、ジムへ。途中、工事現場の横を通ったら、もう「鈴文」は消滅していた。近くまでいって、すでに産業廃棄物となってしまった「鈴文」の写真を撮る。まるで災害の現場のようである。私は空を仰いだ。空はあんなに青いというのに。雲はぽっかり浮かんでいるというのに。鳥はさえずり、風は悠々と更地の上を吹き抜けていくというのに。・・・いかん、横山秀夫『クライマーズ・ハイ』のパクリじゃないか。昼食がまだだったので「喜多方ラーメン」で葱ラーメンを食べる。無念の思いで食べる。

           

  ジムでは30分のウォーキング&ランニングを、間に10分の休憩を入れて、2本。最初は60分1本のつもりで始めたのだが、マシンの調子が悪く、といっても動きが悪いわけではなく、反対に速過ぎるのである。いつもウォーキングは時速6キロ、ランニングは時速9キロの設定でやっているのだが、マシンによって同じ時速設定でも早かったり遅かったりということがあり、今日のマシンはデジタル表示される時速よりも明らかに速いのである。こっちは時速6キロや時速9キロというものがどれくらいのものであるか、身体で覚えている。それはちょうど鮨職人が握るシャリの分量を手のひらで覚えているのと同じである。最初、時速6キロでウォーキングを開始して、すぐにマシンが速いことに気づいた。実際は時速6.5キロは出ている。ウォーキングとしては限度ぎりぎりの速さである。5分経過したところでランニングに移行したが、やはり表示速度よりも0.5キロくらい速い。走れないことはないが、息が荒くなるのがいつもより早い。それで表示速度を8.5キロに下げてラニングを続けたが、本当は時速9キロでランニングをしているのに、記録としては走行距離も消費カロリーも時速8.5キロで計算された数値が出てくるわけで、骨折り損のくたびれもうけのような気がしてモラールが上がらない。それで30分で切り上げて、後の30分は別の正常に作動するマシンに乗り換えた。たかだか時速0.5キロの違いで、体感速度はずいぶんと違うものだ。
  ジムを出ると、ジムに入る前より雲の量が増えていた。近頃は、夕方から雷を伴った雨が降ることが多い。夕立といえば情緒があるが、この夏の夕立はスコールと読んだ方が似つかわしく、情緒も何もあったものではない。しかし、今日はなんとか空はもってくれた。

           

  「珈琲館」でアイスカフェオレとスムージー・マンゴー・ヨークルトを飲みながら1時間ほど読書。東急ストアーで野菜ジュース、駅ビルの地下でシラス干しを購入。野菜ジュースは朝食用、シラス干しはご飯の友である(ご飯の上にたっぷりのせて、醤油をかけてかき混ぜて食べるもよし、お茶漬けにして食べるもよし)。栄松堂で、『オール読物』9月号と『ユリイカ』9月号を購入。『オール読物』の特集は「第139回直木賞決定発表」。『ユリイカ』の特集は「太宰治/坂口安吾―無頼派たちの“戦後”」。直木賞を受賞したのは井上荒野だが、女性であることも、「荒野」を「あれの」と読むことも、私は知らなかった。毎回、選考委員たちの「選評」を読むのが楽しみなのだが、今回は五木寛之のものが面白かった。

  「昔の話をもちだすのは気恥ずかしいが、かつてこの賞の選考会は、良くいえば豪快、悪くいえばおおざっぱに事が運ぶのが特徴だったように思う。
  「ろくな小説も書けんくせに、よく言うよ」
  と、隣席の先輩作家がきこえよがしにつぶやいたりして、一瞬ただならぬ気配が漂うこともあった。
  「題名を見ただけで読む気がしなくなった。こんなものは駄目だ」
  などと堂々と断定したり、
  「今回は受賞作ナシだろう。そうだよな」
  と、冒頭から宣言したりする人もいて、ときには「なにを」といわんばかりに立て膝する人もいたものだ。
  そんな時代から幾星霜、最近では皆さんが試験勉強のように微に入り細をうがって徹底的に準備をさなって選考会にのぞまれる。ほとんどの選者がメモをとり、ノートをつくり、ときには人間関係を図解する絵図まで用意されたりと、新人作家もこれじゃたまらんだろうと、つい同情したくなるほどの周到さなのだ。
  先輩、後輩、歳にも、キャリアにも関係なく、これほど自由闊達に小説論議をたたかわせる場は、ほかにあるまい。」

  五木寛之が直木賞の選考委員になったのは第79回(1978年上半期)からで、そのときの他の選考委員は、川口松太郎、源氏鶏太、今日出海、司馬遼太郎、城山三郎、松本清張、水上勉、村上元三である。第80回からは新田二郎が加わり、第83回からは阿川弘之と山口瞳が加わり(新田二郎と司馬遼太郎と交代)、第83回からは池波正太郎が加わっている。うん、なるほど、凄いメンバーだ。ちなみに五木寛之初登場の第79回の受賞作は、色川武大「離婚」と津本陽「深重の海」であった。こっちも曲者揃いだ。そういう時代の話なわけだ。
  一方堂書林に寄って、奥野健男『文学における原風景』(集英社)も忘れずに購入した。女主人に本を渡したら、「こういう本を買ってくれるお客さんが最近はもういなくなってしまって・・・」と独り言のように言った。たぶんこの店の屋台骨を支えているのは店先の平台に並んだエロ本たちなのであろう。