フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月7日(土) 晴れたり曇ったり、時に雨

2009-03-08 11:39:04 | Weblog
  8時、起床。朝風呂に行く。30分ほどで部屋に戻り、荷造り。メールのチェックをして、返信を一本書いてから、10時ちょっと前にチェックアウト。「Kaga」でサンドウィッチ、珈琲、ヨーグルトゼリーの朝食(兼昼食)。会計のとき私が手に提げている大きなバッグを見て、ご主人が何か言いたげだったが、とくに今日東京に帰りますとかは言わず、ご馳走さまでしたとだけ言って(奥様にも会釈をして)店を出る。次にこの店に来るのはいつになるだろう。どうかお元気で。
  11時17分発のはくたか11号に乗る。天気はよいが、東に向って走っているため昨日の雨を追いかけているような展開で、だんだん曇ってくる。富山あたりで雨がぱらつき始めた。かと思うと、突然太陽が差し込んできたりする。西から東へというベクトルと海辺から山間部へというベクトルの組み合わせより、天候が目まぐるしく変化する。見ていて飽きない。魚津から直江津の間は車窓から日本海がよく見える。

         

         

  13時55分越後湯沢着。14時3分発のMAXとき326号に乗り換える。この間8分。「走らないと・・・」と話しているおばさんたちがいたが、大丈夫、3分あれば乗り換えられます。しかし、これは何事もなくスムーズに移動した場合のことで、途中でトイレに行きたくなったり、車内に何か忘れ物をして取りに戻らなくてはならなくなったら、たちまち危ういことになる。このことはわれわれの都市的な時間システム(そこには人生の時刻表も含まれている)の全般にあてはまることで、われわれは標準的な行動パターンから逸脱しないように不断に緊張を強いられている。「走らないと・・・」は現代人の精神構造の基盤に存在する強迫観念である。だから、ベンチャーズは弾いた、「ウォーク・ドント・ラン」。水前寺清子も歌った、「走らないで歩け」(三百六十五歩のマーチ)。(後記:水前寺清子の歌詞は「休まないで歩け」である。「走らないで歩け」と「休まないで歩け」は「歩け」という命令は同じでも意味合いが違うだろう。面白いのでこのままにしておく)
  国境の長いトンネルを(『雪国』の主人公とは反対方向に)抜けると晴天だった。東京まで窓のブラインドを下ろして本を読む。最初、右前方にあった太陽がだんだん右後方に移動していった。これは時間の経過のためというよりも、列車の進行方向の変化によるものである。頭の中に関東平野の地図を広げて、太陽の位置の変化を手がかりに、上越新幹線の線路をイメージしてみるのは頭の体操になるので、機会があったら一度やってみてください。
  3時20分東京着。今日学士入試(一次)で大学に出ているはずの安藤先生に電話で帰京の報告をしてから、丸善丸の内店でヴィカス・スワラップ『ぼくと1ルピーの神様』(ランダムハウス講談社)を購入。アカデミー賞作品賞を受賞した『スラムドッグ$ミリオネア』の原作である。これが原題なのかと思ったら、そうではなくて、原題はシンプルに『Q and A』。『ぼくと1ルピーの神様』は志賀直哉の「小僧の神様」を借用したものだろう。
  ゆうぽうとホールで牧阿佐美バレエ団公演「リーズの結婚」が5時半からあるので、山の手線で五反田に向う。「家に帰り着くまでが遠足です」と小学校の先生の生徒に言うが、それと同じで、「家に帰り着くまでが旅行です」。旅はまだ終らない。金沢から帰ってきた日にたまたま「リーズの結婚」の公演があったので観ようと思ったわけではない。まず最初に「リーズの結婚」があって(座席は4ヶ月前から予約している)、それに合わせて旅行のスケジュールが組まれたのだ。オムレツを作るには卵を割らなくてはならないように、3月7日午後5時半開演の「リーズの結婚」(主演はもちろん伊藤友季子)に間に合うためには同日午前11時17分金沢発のはくたか11号に乗らなくてはならなかったのである。他方で3月2日に教授会が入っているので、金沢行きは3月3日でないとならなかった。フィールドノートの読者には気ままな旅のようにみえるかもしれないが、現代社会の一員として生きている以上、フーテンの寅さんのようなわけにはいかない。旅の初めも旅の終わりも、制度化された時間割の中でほとんど必然的に規定されているのである。われわれにできることは自由に振舞うことではなく、自由であるかのように振舞うことである。

         
                        開演前45分

  「リーズの結婚」は私がこれまで観た演目の中では一番コミカルなものだった。愛し合う若い男女が登場するが、そこには「ロメオとジュリエット」のような悲劇的要素はない。二人はひたすらいちゃつくだけだ。その二人の仲を引き裂こうとする母親が登場するが、そこには「白鳥の湖」や「眠れる森の美女」のような邪悪なるものは存在しない。金持ちの息子と結婚することが娘の幸せだと考えているどこにでもいる母親である。金持ちとその息子も、悪い人間ではない。金持ちはただえばっていて、息子の方は頭が足りないだけだ。最後は、当然のように、若い二人は結ばれ、村人たちから祝福される。話としてはだたそれだけだ。踊りは、コミカルなタッチ(母親の踊りは志村けんのようである)に加えて、リボンを使ったりして新体操の演技を見ているような場面が多々あった。伊藤友季子は「かわいい女の子」を一生懸命演じていたが、もともとがかわいいのだから、そんなに一生懸命に演じなくてもと思う。かえって「ぶりっ子」に見えてしまう。松田聖子に見えてしまう。たぶん私は相手役のイヴァン・プトロフに嫉妬しているのである。何度もキスしやがって。イヴァンの馬鹿。(後記:「プトロフ」を「プトフル」と誤記したら、草野先生からメールで厳しく指摘される。は、はい。こちらはただちに訂正する)。
  8時半ごろ、帰宅。旅は終った。日常的世界への帰還。郵便物やメールをチェックすると、至急対応しなくてはならない案件が3つほどあった。メールを開けたら2分で日常である。