フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月8日(日) 曇り

2009-03-09 09:47:48 | Weblog
  7時半、起床。ベーコン&エッグ、トースト、紅茶の朝食。昨夜はブログを更新せずに(できずに)寝たので、それを済ませてから、大学へ。学士入試の二次試験(面接)の担当なのである。日曜出勤だ。
  面接が終わり、一緒に面接を担当した社会福祉の岡部先生に「先生もどこか息抜きに出かけたりしないのですか?」と聞いてみたら、「なかなか時間がとれなくて・・・」と言われた後に、「もし行くとしても、先生のように一人ではなく、妻と一緒に行くと思います」と言われた。へぇ、そうなんだ。でも、それでは非日常的世界における息抜きにはならないのではなかろうか、と私は思う。日常的世界を構成する二大要素は仕事と家族である。日常的世界から抜け出すためには、仕事から離れるだけでは不十分で、家族からも離れる必要がある。これは家族を大切に思っているかどうか、妻を愛しているかとかどうかとは関係ない話、まったく別の次元の話なのである。
  面接が終ったことを知らせに教務室に行くと、現代人間論系の同僚の大藪先生がいらして、「安藤先生と話したんだけど、大久保先生、金沢にいい人でもいるんじゃないの?」とおっしゃる。な、なんですと、そのいきなりの居酒屋的発言は。「内灘夫人」(五木寛之の小説)ならぬ「内灘妻」ですか。「ウッチー」とかですか。夫婦の同伴性(コンパニオンシップ)を重視した岡部先生の意見がアメリカナイズされたものであるとしたら、こちらは家父長制的な「男のロマン」に基づいた空想である。非日常的世界における息抜きという条件には適合しているようにみえるが、仮にそうだとしたら、もう少し頻繁に金沢に行くのではなかろうか。年に一度ではなく月に一度とか。しかし、そうなると、それはもはや日常的世界の一部であって(多元的日常ではあるけれど)、非日常的世界における息抜きとはいえなくなってしまうだろう。教務の先生方はいまの時期、本当にお忙しい。ぜひ忙中に閑をみつけて、せめて日常的世界の中での息抜きはしていただきたいが、空想は一種の息抜きなのかもしれない。ならばよかろう。思想の自由があるように空想の自由もあるのだから。そして、これは心理学がご専門の大藪先生や文学がご専門の安藤先生には言わずもがなのことであるが、空想には空想する主体の願望が込められているということをブログの読者のために指摘しておこう。
  大学からの帰路、丸善丸の内店に寄って、以下の本(とDVD)を購入し、店内のレストランで遅い昼食(早矢仕ライスと珈琲)をとる。

  丸田一『「場所」論 ウェブのリアリズム、地域のロマンチズム』(NTT出版)
  ニック・ヤップ『世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間』(ナショナルジオグラフィック)
  『華麗なるバレエ01 白鳥の湖(キーロフ・バレエ)』(小学館)
  『華麗なるバレエ02 ジゼル(キーロフ・バレエ)』(小学館)
  『華麗なるバレエ03 ロミオとジュリエット(パリ・オペラ座バレエ)』(小学館)
  『トムとジェリー DVD-BOX』(宝島社)