フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月22日(日) 雨

2009-03-23 01:12:22 | Weblog
  9時、起床。雨が降っている。朝食兼昼食を「鈴文」に食べに行こうかとも思ったが、妻が「カレーがあるわよ」というので、トーストで食べることにした。「作ったの?」と聞くと、「この前の残りよ」という。「この前って、あのずっと前のカレーか?」と確認すると、「そうよ」と事もなげに言った。13日の金曜日の夕食のカレーの残りだ。10日経っている。「大丈夫よ、冷蔵庫に入っていたんだから。」確かにそうかもしれない。そうかもしれないが、妻は冷蔵庫というものを過信しているところがあり、ときどき冷蔵庫内でものを腐敗させてしまうことがある。冷蔵庫は時間を止める装置ではない。有機物が微生物の作用によって分解され、有毒物質を生じたり悪臭を放つようになる過程は、冷蔵庫の内部でも、常温時よりも緩慢ではあっても、不可逆的に進行しているのだ。「何かの実験でもしてるのかな?」と私が尋ねると、「実はそうなのよ」と言うだけで、実験の具体的内容については教えてくれない。トップシークレットなのだろう。謎めいた女というのは魅力的である。それ故、我が家には妻の「大丈夫よ」を鵜呑みにする者はいない。「人の言うことを鵜呑みにしてはいけない」というのは我が家の家訓の一つである。今回のカレーについては、私に食べさせる前に妻自身がそれを食して「大丈夫よ」と言ったので、信用度は「AA」にランクされるが、それでも万が一のことを考慮して、妻が食事を終えてから1時間経過観察をしてから、カレー、トースト、牛乳の朝食兼昼食。

         

  雨は終日降っていた。物憂い雨の一日だった。しかし、そんな中で、二つの素晴らしいものをTVで観た。
  一つは、午前中に放送されたNHK杯将棋トーナメント」の決勝戦、羽生名人対森内九段の終盤で羽生(後手)が指した「9四歩」の一手である。森内勝勢と誰もが思っていた局面で指されたこのぼんやりした一手で、局面はいっぺんに難解なものに変化し、意表の一手を指された森内は動揺したのであろう、直後に失着が出て、将棋は羽生の逆転勝ちで終った。解説の渡辺竜王は、つい2ヶ月ほど前、羽生が棋界初の3連勝後の4連敗で竜王を獲り損なった相手である。「森内勝勢」と解説していた彼の眼前での大逆転劇は、江戸の仇を長崎で討つといったところだろうか。
  もう一つは、午後、一昨日の「芸術劇場」(教育TV)で放送されたのを録画しておいた東京バレエ団公演「ベジャール・ガラ」(2009年2月9日、ゆうぽうとホール)、その中のシルヴィ・ギエム主演の「ボレロ」を観たこと。素晴らしいというよりも、凄いものを観てしまったという感じ。あの単調でいて劇的なラヴェルの曲に合わせて、赤い円卓の上で踊るギエムは、神話の世界のバレエの女神のようであった。全体を通して持続する緊迫感は、『ノーカントリー』の音楽のない緊迫感とは違って、音楽と身体の動きが一分の隙もなく完璧に対応していることから生じる緊迫感である。円卓の直径は5mくらいだろうか、当然、動きは制約される。しかしその制約を逆手にとったベジャールの振り付けは、古代の呪術的な身体所作とモダンバレエの融合という印象を与える。録画しておいてよかった。おかげで「私はギエムのボレロを観たことがある」と語れる人生をこれから生きていける。惜しむらくは劇場でではなかったが、この先、彼女の「ボレロ」を劇場で観るチャンスははたしてあるだろうか。