7時半、起床。コロッケ、トースト、牛乳の朝食。
今日はオフと決めていた。明日から授業なので、その前に、一日空白の日を設けて、気分転換をして、授業期間に入っていきたかった。午前中にブログの更新とあれこれのメールを書き、昼から散歩に出る。近場の散歩ではなく、鎌倉に行くことにする。晴天だが風がある。きっと海辺は風が強いだろう。でも、まあ、いいか、行こう。バッグには日誌、鎌倉のガイドブック、そして『最後から二番目の恋』のノベライズ本を入れた。
鎌倉に着いて、駅前の「茶寮いのうえ」で昼食をとる。特製しらすご飯を注文。店内は年配のご婦人でいっぱいだ。時間があり、お金があり、まだそれほど体力は低下していない、そういう年代の女性たちである。平日の鎌倉はそういう女性たちで賑わう。 週末は若い人で賑わうから人口構成が異なるだけで平日と休日の駅周辺の混み具合にそれほど差はないように思う。
ただし、年配の女性たちのほどんどは八幡宮方面へ歩くか、江ノ電に乗って長谷方面へ行くので、海岸方面へ向かう道は空いている。 海岸は風が強そうだが、鎌倉に来て、海に挨拶をしないなんてことはありえない。
由比ガ浜通りの「こ寿々」でわらび餅とところ天を食べる。
若宮大路を下って海岸に出る。予想以上の強い風である。砂が風に舞っている。
波打ち際でできた泡が、空気で冷えて、凝固して、風に舞う「波花」が見られた。
千明(小泉今日子)のナレーションが聞こえて来る。
淋しくない大人なんているだろうか。
淋しいから、不幸せなわけでもない。
人はひとりで生まれてきて、やがてひとりで死んでいく。
つまり人生ってやつは、もともと淋しいものなんじゃないのか。
波打ち際を歩いて(その方が砂まみれにならずにすむ)、由比ガ浜海岸を西へ歩く。長谷あたりで、海岸のそばの喫茶店「和らく」に入り、一息つく。小奇麗な喫茶店なので、マダムにいつからやっているのか尋ねたら、来年で30年になりますとのこと。1983年開店。それは私の結婚した年である。この辺りの海岸は『最後から二番目の恋』のロケが行われたはずで、そのことをマダムに尋ねたが、どうもマダムはドラマをあまり見ていないようである。ただ、ドラマの舞台となった江ノ電の極楽寺駅はドラマの放送中の週末はたくさんの人出があったそうだ。
喫茶店を出て、その極楽寺駅を目指す。
極楽寺坂の切通しを過ぎるとドラマの中で何度も出てきた極楽寺駅である。ラストシーンもここだった。
「あれ?」
改札の前で、千明がバッグの中をごそごそと探っている。と、「お疲れさまです」と和平が通りすぎていく。見られたかと舌打ちをし、千明は和平のあとを追った。
「毎回同じことをやっているんですか? こないだもやってましたよね。めちゃくちゃオバチャンですよ、あれ。よくいたじゃないですか。電車の切符の販売機の前で、自分の番になってから、財布開けて、小銭がないみたいなオバチャン。あれと同じじゃないですか。カードになった意味がない。どこに入れておくか、ちゃんと決めておけばいいじゃないですか」
「また細かいことをグチグチグチグチ・・・・そうやって、細かくキチキチキチキチ理屈ばっかり言ってる男、特にオッサンに限ってね、いざというときに対応できなくて、使えないんですよ、全然使えないんだなぁ、これが」
「はぁ?」
「なんでそんなに私に突っかかってくるんですか? あれですか? 私のことが好きでとか、そういうことですか?」
「は? 何をいってるんですか、そんなこと」
「私は、意外と嫌いじゃないですけどね」千明の口から出る意外な言葉。
「え」
「あ?」
「あ、いや、私だって嫌いじゃないっていうか、むしろ好きですけど」と和平も応じる。
「あ、好きなんだ?」
「は?」
「あ、いえ」
「ていうか・・・なんで? なんでそういうこと、こんなときにサラっと言っちゃうんですか? そういうもんじゃないでしょう?」
「何がですか?」
「そういうのは、もっとちゃんとしたときに、ちゃんと言うべきでしょう」
「なんだっていいでしょう、べつにそんなの」
「よくありませんよ。しかも、なんで、先にあなたがそれを言っちゃうんですか?」
「あなたが言わないからでしょう」
「私だって言おうと思ってましたよ。しかるべきときに、男は自分から言いたいんですよ。どうして待てないんですか」
「じゃ、言えばいいじゃないですか、とっとと、男らしくない」
「あ、またそこにいきます? 男らしくないの話いきます?」
「いきません。ひとりでいってらっしゃい」
「ひとりはイヤです」
「私だってひとりはイヤですよ」
・・・・・・・・・・・
千明と和平(中井貴一)の楽しげな口げんかが聞こえて来る。