フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月14日(土) 雨

2012-04-15 08:51:02 | Weblog

  7時、起床。雨が降っている。俯いて咲く海棠の花が雨に濡れている。

  ポテトサラダ、トースト、紅茶の朝食。

  午後から大学へ。雨の土曜日のキャンパスは人影がまばらだ。   

  来る途中で「神戸家ラストラン」で購入したエビカツサンドを教務室のデスクで食べる。書類の山がそろそろ臨界点に達している。  

  2時から36号館382AV教室で、文学学術院人文科学総合研究センターの立ち上げを記念したシンポジウム「東日本大震災のいま」が開催される。生憎のお天気で参加者は少なかったが、多角的で興味深い報告が続いた。 

  シンポジウムは予定より30分ほど延びて6時頃終了。その後の懇親会は失礼して、帰宅。

  水曜日に出来なかった私の誕生日のお祝いということで、今夜はすき焼だ。 我家では私の誕生日と12月30日はすき焼と決まっている。私が子供の頃、家で食べるすき焼は豚肉であった。それでも十分に美味しかったが、その後、牛肉のすき焼を食べるようになり、社会が豊かになるということの一側面を実感したものである。そこには「豚肉から牛肉へ」という進歩史観が存在するわけだが、それは世代的なもののようで、我家の子供たちはすき焼きよりも豚シャブの方が好きらしい。「高くて美味いものから安くて美味いものへ」。右肩下がりの時代を生き抜いていくための思想である。実際、私は豚シャブも好きである。豚バラ肉と白菜(あるいはホウレン草)を鍋で煮て、ポン酢で食べるだけの簡単な料理であるが、豚バラ肉の柔らかさと甘味が、白菜の食感とポン酢によく合い、ご飯が進む。牛シャブよりも豚シャブの方が旨いとさえ思う。しかし「旨ければいい」という考え方に私は完全には同意できない。必ずしも「旨ければいい」というわけではないと思うのだ。すき焼(もちろん牛肉の)にあって豚シャブにないもの、それは祝祭感である。「すき焼だ!」という胸の高鳴りである。「豚シャブだ!」と子供たちは胸が高鳴るのかもしれないが、それは「カレーだ!」や「餃子だ!」と同じように自分の好きなものを前にしたときの喜びであって、祝祭感とは別のものである。祝祭感とは、個人的な平面での好き嫌いではなく、社会的な平面における非日常的な「格別の日」の感覚である。我家の食卓にすき焼がめったに出てこないのはそうした祝祭感を大事と考えるからである。個人的にすき焼が食べたいときは私は「人形町今半」に行く。

   デザートはTAKANOのケーキ。苺がすこぶる美味しかった。