フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月9日(火) 曇りのち晴れ

2018-07-10 22:37:35 | Weblog

8時半、起床。

雲の多い空だが、割れた氷から見える水のような青空が美しい。一部、青い。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

今日の『半分、青い』。百均で臨時のバイトになった青年(涼次)がノートの切れ端に書いた詩、「僕は。」

 僕は、遅いかもしれない。でも、走ろうと思う。

 僕は、悲しいかもしれない。でも、隠そうと思う。

 僕は、負けるかもしれない。でも、戦おうと思う。

 僕は、弱虫かもしれない。でも、強くなろうと思う。

 人生は過酷かもしれない。でも、夢見ようと思う。

 翼は折れたかもしれない。でも、明日へ飛ぼうと思う。

 僕は、きみの望むような僕じゃないかもしれない。でも、きみの心の火が消えそうな時は、そっとこの手をかざそう。

 いつまでも、かざそう。

これを読んだ鈴愛は泣きそうになる。とくに「翼は折れたかもしれない。でも、明日へ飛ぼうと思う」というフレーズがいまの鈴愛には直球ど真ん中である。たぶん、たくさんの視聴者(とくに女性)の心も掴んだことだろう。

しかし、この詩、果たして青年の作なのであろうか。そういう文才があるようには見えないのだが。たとえば、映画監督(斎藤巧)の作だったりして。もし本当に青年が書いた詩だとすれば、彼は映像よりも文芸の道に進んだ方がよい。それにしても、この青年、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の練くん(高良健吾)を明るくしたようなキャラである。「明るい練くん」だ。 

3時を回った頃、遅い昼食を食べに出る。午前中より青空が増えている。

『半分、青い』のせいで普段より百均に目が行く。店頭のあのビーチサンダルも100円である。すごいな、百均。

『テラス・ドルチェ』に入る。

たらこスパゲッティ・セットを注文すると、最初にスープとサラダが出てくる。サラダを先に食べるという流儀はいま世の中に広く浸透してしまった。そうしたい人はすればよいと思うが、私はそうはしたくない。サラダは食事の途中に折々口に運びたい。でも、スパゲッティはまだ出て来そうにないので、しかたなくサラダを口に運ぶ。ヤギになったような気分になる。

サラダを食べ終わった頃にたらこスパゲッティが運ばれてきた。「トンボロ」(夜)のたらこスープスパゲッティを食べなれている私には、ちょっとボソボソした食感。試しにコンソメスープをかけて食べたところ、いい感じになった。

セットにはブレンドコーヒーが付いてくる。ちゃんとサイフォンで淹れるコーヒーだ。

コーヒーを飲みながら合宿中の日記を付ける。

店を出て、家路をたどりながら仰ぎ見る午後5時の青空。

夕食は、かます、薩摩揚げ、サラダ、味噌汁、ご飯(軽め)。

 ウォーキング&ジョギングをしようかとも思ったが、合宿の疲れが取れてからにしようと思いとどまる。

2時、就寝。