フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月13日(日) 曇り、一時雨

2020-09-14 14:26:50 | Weblog

8時半、起床。

妻が起きてスマホを始める前に無線LANルーターを新しいものと交換する。

トースト、目玉焼き、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昨日のブログを書いてアップする。

昼食は焼うどん。

午後2時からオンライン句会。参加者は画面左上から恵美子さん、私(たかじ)、あやこさん、犬茶房さん、月白さん、さやかさん(選句のみ)、渺さん、紀本直美さん。ライブ参加ではなく、投句およびあとからLINEでの選句は蚕豆さん、港さん、立夏さん。

今回(39回目)の作品は30句(一人3句。3句中1句は兼題句「恋」、2句は自由句)。

各自が5句選ぶ(天=5点を1句、地=3点を2句、人=1点を2句)。

私が選んだ5句は次の通り。

天 夜濯ぎの義足の妻の口遊む

物語を多分に含んだ句である。蕪村の名句「お手打ちの夫婦なりしを衣更え」を彷彿とさせる。「夜濯ぎ(よすすぎ)」とは夜にする洗濯のこと。全自動の洗濯機にお任せの洗濯ではない。手でゴシゴシ洗っているのである。しゃがんでいる妻の着物の裾からのぞく足は義足である。事故なのか病気なのかはわからない。夫はそれを不憫に思っている。しかし妻はそれを不幸とは思っていない(あるいは思ってもしかたがないと思っている)ようで、何か口遊(くちずさ)んでいる。そんな妻を夫は愛おしく思っている。そういう夫婦の物語。

地 恋犬の背を撫でている秋の暮

恋犬とはさかりのついた犬の意。猫の恋は春の季語だが、犬の恋は季語として認定されていない。犬だって年中さかっているわけではないから、これは不公平である。そういう「日陰の恋」の存在を取り上げたところがよい。

地 昼月の浮かぶあたりで恋をせん

「昼月(ひるづき)の浮かぶあたり」とは、空の位置そのものというよりも、そのちょっと宙ぶらりんな感じを表現したものであろう。一途に突進するような恋ではない。相手も自分も傷つかないような、相手の家庭も自分の家庭も壊さないような、一定の距離を保ちながら持続する恋を志向しているのである。中庸を心得た、あるいは臆病な、ちょっとずるいところのある、大人の恋である。

人 隣室の工事に負けじ生姜擦る

兼題の「恋」が日常の中の非日常であるのに対して、これは日常の中の日常を詠んだ句。ストレスフルでもあり、コミカルでもある。「生姜」というところがリアリティがあってよい。

人 山抜けてソーラーパネルの夏畑

映像がパッと広がる句。中句が8音になっているところは、「ソーラパネルの」と7音にしたらよかったのではないかしら。

全員の選句の結果は以下の通り。今回は得点が分散した。

13点 隣室の工事に負けじ生姜擦る 恵美子

今回の特選は恵美子さんの句。犬茶房さんが「天」を付けた。実体験だが、そのとき擦っていたのは大根だったそうだ。生姜に変えて正解。「大根(だいこ)」とすれば3音でリズムは整うが、「生姜」ほどの強さはない。それでは工事の音に対抗できなうだろう。ちなみにその日の夕飯は秋刀魚の塩焼きだったのだろうか。

12点 蝉の殻恋のゆくへを問うて落つ 蚕豆

月白さん、渺さん夫妻がそろって「天」を付けた。印象に残る句ではあるが、難解な句である。私は雰囲気で選句をすることを好まず、自分なりの解釈を試みる。この句のポイントは、恋のゆくえへを問うているのが蝉の死骸ではなく、蝉の抜け殻であるところにある。蝉の抜け殻が「私の恋のどうなったのか?」「思いは遂げられたのか?」と分身である蝉本体に問いかけて地面に落ちるのである。土の中で何年も生きてきて、生涯の最後の一週間、恋の相手を求めて地上に出てきたのである。恋の結末はそれはそれは気になるであろう。

12点 夜濯ぎの義足の妻の口遊む 蚕豆

私が「天」を付けた。選句の理由はすでに述べた。

10点 台風の目は天空を射抜く青 渺

恵美子さんとさやかさんが「天」を付けた。衛星からの映像で台風の目を目にする機会が最近あったので、それと結びついて生まれた(選ばれた)句であろう。ただし、この句は天上からの視点ではなく、台風の目の中心に入った地上からの視点で詠まれた句であるように思う。「青」は海の青ではなく、空の青であろうから。そう考えると、衛星からの映像を地上からの映像に転換する作業を経て生まれた句ということになる。コペルニクス的転換が必要なのだ。

8点 波音も人恋し浜花火跡 あやこ

港さんが「天」を付けた。人気のなくなった秋の海辺ににぎやかだった夏の名残を探し求める句である。しかし、今年の夏はいつもの夏ではなかったから(海の家もなかった)、「にぎやかだった夏」それ自体が一種の幻なのである。

8点 せがまれてすりへらしてくかき氷 立夏

あやこさんが「天」を付けた。母親と幼児のいる情景が目に浮かぶ。「すりへらしてく」という言葉を選んだのがポイントで、育児の大変さ、育児の負の部分(「母親」=「女性」のアイデンティティの問題)を感じさせる。しかし、作者が立夏さんと知って、これは母子関係の話ではないのかもしれないと思った。作者が不在だったので聞けなかったけれど。

8点 体温と人を数えて夏の果て 犬茶房

紀本さんが「天」を付けた。何かのイベントが行われる会場の入口で人数制限や入場者の体温を測定している様子が目に浮かぶ。今年の夏を象徴する風景である。細かい点ことだが、「人」を「数える」とは言うが、「体温」は「数える」とは言わないだろう。「測る」である。なので「体温と人を数えて」という表現には難がある。

7点 廃工場色なき風に父の影 恵美子

私はこの句を「センチメンタルな言葉が過剰である」と感じて採らなかった。しかし、作者が恵美子さんとわかって、これは実体験を句にしたものだと理解した。彼女の亡くなった父親は自動車関連の工場を経営していたのである。。

6点 水澄んで新しき日を始めたし 月白

猛暑とコロナの日々に終わりを告げて、心機一転、すっきりとした気持ちで秋を迎えたい。そういう思いを素直に読んだ句と解釈したが、作者によると、これは施設に入られたお母様が春先まで住まわれていたマンションに通って、家財の整理をしているときの気持ちを詠んだものだそうである。

4点 この道や恋々として曼珠沙華 たかじ

私の句。渺さんから「地」、あやこさんから「人」をいただいた。「恋々(れんれん)として」は「諦めきれない」様子を表す言葉。「この恋は諦めねばならぬ」と思いつつも、諦めきれない女の情念を「曼珠沙華」で表している。紀本さんの解釈では、「この道」の先には思いを寄せる人の家があり、彼女は懐に包丁を忍ばせているのだそうである。怖い、怖い。

4点 切り捨てた恋のシッポよ秋暑し 月白

今回の兼題「恋」は月白さんの出題である。閉塞的なコロナの日常に風穴を開けたかったのだろう。作者は恋のシッポを切り捨てる側に立っているが、「切り捨てられた経験はないのですか?」と聞いたところ、「どちらもあります(笑)」とのことだった。恋多き人生だったようである。いや、完了形で語るのは早すぎるかもしれない。傍らで、切り捨てられずに残った渺さんが苦笑している。

4点 原稿と驟雨はためく十三階 港

「十三階」という数字に不穏なものを読み取る人が多かったようである。高層だが、タマーマンションという程ではないから、実際、作者は十三階の住人なのだろう。むしろ私が気になったのは、「驟雨はためく」という表現である。「原稿」の方に重心を置いて「はためく」という動詞を選んだのだと思うが、「驟雨」にも掛けるのは無理がある。「体温と人を数えて」と同じである。

4点 猛暑日や恋の行方は西東 たかじ

私の句。紀本さんから「地」、月白さんから「人」をいただいた。後にもう一句で出て来るが、今回は兼題「恋」で三句投句した。この夏は、「Go To」の対象から東京が外されて、東京の恋人たちは遠出をすることがしずらかったが、心理的には西に東に迷走する恋も多かったのではないだろうか、という句。

4点 缶チューハイ凹ます夏夜「だから何」 犬茶房

「缶チューハイ」と聞けば、「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの、という俵万智の『サラダ記念日』の中の短歌がすぐに頭に浮かぶが、作者はそれを知らなかったようである。「それって何」という顔をしていた。世代の違いを感じてちょっと凹んだ。

3点 恋犬の背を撫でてている秋の暮 犬茶房

私が「地」を付けた。選句の理由はすべに述べた。「先生に研究よりも俳句でほめていただけたことが嬉しいです」と彼女は言った。ただし「秋の暮」は凡庸で、ここはもう一工夫必要。

3点 昼月の浮かぶあたりで恋をせん 渺

私が「地」を付けた。選句の理由はすでに述べたが、渺さんの句でしたか。恋に対するこの距離感が月白さんから切り捨てられずに勝ち残った所以でしょうか(笑)。 

3点 十五から恋を重ねて鳳仙花 たかじ

私の句。港さんから「地」をいただいた。松尾芭蕉の高弟、宝井其角(きかく)に「十五から酒を呑み出て今日の月」という句がある。これをモチーフに、酒好きの男を恋多き女に置き換えて詠んでみた。鳳仙花は黒く熟した実に触れると種が弾け飛ぶ。実を結ぶ頃に弾けるのである。花言葉は「私に触れないで」。

2点 山抜けてソーラーパネルの夏畑 港

私と恵美子さんが「人」を付けた。選句の理由はすべに述べた。

1点 恋しさのつみきゆうらり天高し 港

あやこさんが「人」を付けた。恋しさが積み重なって積み木のように高くなっている。しかしその思いは不安定で、いつガラガラと崩れ落ちるかわからない。

1点 遠方の供養は郵便施餓鬼米 あやこ

帰省の自粛で墓参りやお施餓鬼(せがき)法要にも行けない。お布施や供物代は郵便で送ることになった。施餓鬼米は供物代の意味である。

以上、20句が今回の入選句。選外句の中では、立夏さんの「いとけなし浴衣消ななむ恋やまひ」と「雪降らし腹のない蝉春日部に」がその解釈をめぐって話題になった。

また、夜になって、蚕豆さんと立夏さんがLINEで選句を送ってきた(得点としては参考記録扱い)。

蚕豆選

 天 水澄んで新しき日を始めたし

 地 廃工場色なき風に父の影

 地 オーボエの旋律のごと秋時雨

 人 せがまれてすりへらしてくかき氷。

 人 十五から恋を重ねて鳳仙花

立夏選

 天 切り捨てた恋のシッポよ秋暑し

 地 隣室の工事に負けじ生姜擦る

 地 月赤し地球の悲鳴聞こえしか

 人 恋犬の背を撫でている秋の暮

 人 原稿と驟雨はためく十三階

次回の句会(オンライン)は11月11日(日)14時から

兼題は「ぽ」(ひらがな、カタカナ、漢字を問わず「ぽ」の音が入ればOK)*恵美子さんの出題

おそらく「ポッキーの日」にちなんだ兼題であろう。

夕方、散歩に出る。

「スリック」でシフォンケーキ(ブラウンシュガー&ナッツ)と紅茶(キームン)。

マダムの話では、今日の昼間は目が回るほどの忙しかったそうだが、閉店30分前のこの時間は、私と先客の若い女性が一人だけである。その女性は本を読んでいる。それも文庫本でなく単行本である。スマホを触っている人が多い中でこれは珍しい光景である。「失礼ですが、何の本をお読みなのですか?」と聞いてみたい気がしたが、我慢した。

閉店時間(6時)になったので、私は席を立った。私が支払いを済ませると、先客の女性も席を立った。晴れていればまだ明るさが残っている時刻だが、とはいえ、来週はもうお彼岸である。

「スリック」は来週はケーキ教室で平日・週末ともにカフェ営業はお休み。次回は9月23日(水)になる。「氷」の旗は27日(日)までは出ていることだろう。はたして食べる機会はやってくるだろうか。

宮の橋から下流(次の橋は御成り橋)を眺める。

自転車の一群が橋を上を通る。

JRの線路の下のトンネルをくぐって西蒲田方面へ。

夕食は焼き魚、大根と挽肉のピリ辛炒め、サラダ、ジャガイモとワカメの味噌汁、栗おこわ。

焼き魚は赤魚の粕漬け。身がしまっていて美味しい。

栗おこわは赤飯。胡麻塩を振りかけて。

食事をしながら『モヤモヤさま~ず2』を追っかけ再生で観る。今日は越谷。「レイクタウン」と呼ばれていることは知らなかった。

『半沢直樹』第8話をリアルタイムで観てから、近所をウォーキング&ジョギング(2キロほど)。もう全然蒸し暑くない。

風呂を浴びてから、『山下達郎のサンデー。ソングブック』(今日の昼間に放送)をradikoで聴きながら、今日の日記とブログ。

クラッカーと紅茶の夜食。

2時半、就寝。