フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月3日(木) 晴れ

2022-02-04 14:11:03 | Weblog

7時、起床。

洗濯物をベランダに干す。

パン、スクランブルエッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

本日の『カムカムエブリバディ』。子門真人の歌う『およげたいやきくん』が大ヒットしたのは1975-76年のことだった。安定した小商いのようにみえた回転焼きだが、この影響を受けて、売り上げが激減した。時代の流れというものはいかんともしがたい。はたして「大月」は維持できるのか、そしてジョーは音楽で再起できるのか、気になるところである。しかし、私にとって一番気になるのは、「るい篇」から「ひなた篇」への移行のタイミングであり、「ひなた篇」にるい(とジョー)は登場し続けるのかということである。

玄関先の鉢植えの花に水をやる。これも妻のルーティンだったものである。

昨日のブログを書いてアップする。

その後、少し横になる。生活時間が変わって(少し早起き)、寝不足気味である。

レポートの採点作業。

2時を回った頃、昼食をとりがてら池上方面に散歩に出る。

「ハナコーヒー」へ行く。

子連れのママ友2人が先客でいたが、お気に入りの席は空いていた。

セットメニューの中から「真冬のドライカレー」を注文する。ドリンクはホットコーヒーをチョイス

デザートにキャラメライズした林檎のパウンドケーキを注文する。

鞄から『回転木馬のデッド・ヒート』を取り出して、冒頭の一篇、「レーダーホーゼン」を読む。内容は覚えていなかった。レーダーホーゼンとはドイツ人がよく穿いている吊革つきの半ズボンのことである。内容は「僕」が妻の友人の女性から聞いた彼女の両親の離婚にまつわるエピソードだ。母親がヨーロッパを一人で旅行中に夫からお土産に頼まれていたレーダーホーゼンを買い物しているときに、突然、離婚を決意するという話だ。ありそうな気もするし、実際にそんなことってあるのかなという気もする。そういう話だ。

『回転木馬のデッドヒート』は短編集だが、どれも「僕」が人から聞いた話を「スケッチ」したという体裁をとっている。「僕」は「はじめに」の中でこう書いている。

「他人の話を聞けば聞くほど、そしてその話をとおして人々の生をかいま見れば見るほど、我々はある種の無力感に捉われていくことになる。(中略)我々はどこにも行けないというのがこの無力感の本質だ。我々は我々自身をはめこむことのできる我々の人生という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身を規定している。それはメリーゴーラウンドによく似ている。それは定まった場所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。どこにもいかないし、降りることも乗りかえることもできない。誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える。」

『回転木馬のデッド・ヒート』は1985年の作品である。デビュー作の『風の歌を聴け』(1979)から6年後だ。初期の彼の作品に通底している「クール」なタッチの文章である。この「クール」さが「無力感」と関連していることは明らかである。我々が感じている「無力感」を「クール」に分析したのが彼の文章である。しかし、同じ連作短編集でも、阪神淡路大震災をモチーフにした『神のこどもたちはみな踊る』(2002)ではその文章に変化が現れる。震災に対して我々は「無力」だが、作品を読んで「無力感」に捉われることはない。

「ハナコーヒー」のカップの内側には「Coffee」および「Milk」の文字が書かれている。これはこのカップでカフェオレを作るときに、まず「Milk」のところまでミルクを注ぎ、次に「Coffee」のところまでコーヒーを注ぐという目印だろうと思う。支払いのときにマダムにそう尋ねたら、「そうです。でも、いまはマシンで作っているので、その目印はただの模様になってます」とのことだった。

帰りは池上線に沿ってではなく、住宅街の中の歩いたことのない道を歩いて帰った。

「老人いこいの家」では男性が向かい合って(アクリル板を間にはさんで)囲碁を打っているのが窓から見えた。ちなみに将棋は「打つ」ではなく「指す」という。

あるビルのロビーに節分の飾りがされていた。今日は豆まきはどうしよう。

書道教室の入口に書初めの作品が展示されている。「お月さま」もそうなのだろうか。俳句では秋の季語だけれど。

帰宅すると玄関脇の段ボールの上のクッションに野良猫が座っていた。私の顔を見ても、表情を変えることなく、そこを動かない。毛並みは悪くない。まだ若い猫だ。きっと御贔屓にしてくれる家があって、餌の心配はないのだろう。そういうゆとりが表情から読み取れる。

レポートの採点作業を再開。

やがて日が暮れる。

本日の東京の新規感染者数が発表になる。昨日、一気に増加し、今日、さらに増加するかと思ったが、横ばい(やや減)だった。この辺りでピークになってくれないかしら。

レポートの採点作業を続ける。

夕食は肉じゃが、(残りものの)ほうれん草と卵とベーコンと炒め)、笹かまぼこ、味噌汁、ごはん。

いつもより牛肉増量。

食事をしながら『プレバト』(録画)を観る。お笑い芸人のミサイルマンの岩部(といっても私は知らなかったのだが)が色鉛筆画で一発特待生になった。番組に出させてもらえたことを浜ちゃんに涙ぐみながら感謝していた。

妻に「豆まきはどうしよう?」と聞いたら、「豆は買ってある」とのことだったので、私が玄関でささやかに「鬼は外」「福は内」をやる。豆まきを終えて、2階のリビングに戻ってくると、妻が年の数だけ豆を食べていた。食べ過ぎだろ。

レポートの採点は今日は百枚ほどやった。ふぅ。

日記を付けてから、風呂に入る。

1時、就寝。