フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月5日(金) 晴れ

2024-07-06 10:36:34 | Weblog

7時15分、起床。

トースト、目玉焼き、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

昨日のブログを途中まで書いて、9時半に家を出る。駅までの道は午前中は東側に影ができる。

電車の中で「その時」は突然訪れた。

吊革に捕まっていると前に座っていた30代くらいの男性が「どうぞ」と言って席を立ったのである。えっ、これって席を譲られたのか、と解釈するまでに一瞬の間があった。私は「どうも」と会釈をして、席に座った。わが人生初めてのことである。

厳密に言うと、昔、地下鉄の中で席を譲れらことが一度ある。40歳くらいのときのことであった。おまけに私に席を譲ってくれたのは私と大して歳の違わない中年のご婦人であった。どう考えても私が高齢者だから席を譲られたわけではあるまい。よほど疲れ切った表情で吊革につかまったいたのだろうか。後から考えてみると、そのとき私は茗荷谷にある放送大学学習センターで面接授業(スクーリング)を済ませた後で、その女性は授業に出ていた学生(放送大学の学生の年齢層広い)だったのかもしれない。つまり彼女は「先生に席を譲った」のである。そう考えると納得がいった。

しかし、今回の30代の男性は明らかに「高齢者に席を譲った」のである。はたから見て自分は高齢者に、それも席を譲らなくてはと思わせるほどの高齢者になったのか。いずれ「その時」が来ることはわかっていたが、もう少し先のことだろうと油断していたので、虚を突かれた思いだった。よかったことは、反射的に「結構です」と相手の親切を拒絶するのではなく、「どうも(ありがとう)」と穏やかな口調で対応できたことである。これは「その時」が来たらそう対応しようと決めていたので、その通りにできてよかった。

数駅が過ぎて、私の隣の席が空き、私の前に立っていたその男性がそこに座ったので、私は「どうして私に席を譲ってくださったのですか」と聞いてみたい気持ちにかられた。私にはその男性が私に席を譲ってくれたのはたんに私が「高齢者だから」ということだけではないのではないかと思えたからである。しかし、そんな質問をすることは、周囲に乗客もいることだし、その男性を詰問するような妙な雰囲気を生んでしまうだろうと考え、思いとどまった。

私はその男性が私に席を譲ってくれたのにはたんに「高齢者だから」という以外に付随的な理由があったのではないかと推測した。それは、私が吊革につかまって「周囲を見回していたから」ではなかったということである。そのとき私は車内を観察して、7人掛けのシートに座っている人たちのマスクを着用している人の数を数えていたのである。社会学者にとって車内というのは社会の縮図である。人が、一定時間、赤の他人と一緒にいる場所である。そこで人はどう振舞っているかを観察することは社会学者としての習慣なのである。今日の私の関心は、コロナの報道がメディアから消えて(政府の方針への追従である)、しかしそれなりの感染の波は続いている現状において、乗客たちの感染予防の意識がどうなっているかをマスク着用率から推しはかろうとしていたのである。しかし、そんな私の意図など知らないその男性は、「空席をさがしてキョロキョロしている高齢者」として私を見ていたのではないだろうか。つまり私は「座りたい」オーラを発散していたということである。このことを男性に確認したかったのである。でも、やめておいた。席を譲ってくれた人にその理由を聞くというのも変だし(一般的な行為として)、自分の仮説が否定されるのを避けたかったからかもしれない。

乗り換えの東京駅に着いたので、私はもう一度その男性に会釈をして席を立ち、電車を降りた。

早稲田に着いて、馬場下の交差点の鯛焼き屋で鯛焼きを3つ買う。

11時から研究室で博士論文の検討会(鯛焼きを食べながら)。

昼食は外に出ている時間がなかったので、常備しているミニカップ麺で済ませる。

4限(3時5分から)はゼミ。今日のゼミ論中間報告(第2ラウンド)は2件。

「プロポーズにおける規範」

「男性→女性」はプロポーズにおける暗黙の規範であり(男性主導)、それは基本的に現在も順守されているが、そこに何か微妙な変化や差異が見られるようになっているのではないかという問題意識から出発したゼミ論である。告白についても同様な規範が見られるが、仔細に見ると、告白は「あなたが好きだ」という感情の吐露と「(だから)私と付き合ってください(恋人になってください)」というお願いがセットになっているもので、そこがプロボーズとは違う。告白もゼミ論の範囲に含めるかどうかは考えるべきところだろう。

「誕生日と若者の年齢意識」

20歳の誕生日は嬉しかったが、21歳の誕生日はそうでもない。年齢という数字が一つ加算されただけという意識が強い、という話を周囲の人たちとしたが、それはなぜだろうというのがゼミ論の出発点になっている。その意識の変化(断絶)は20歳前後に固有なことなのか、30歳や40歳や、それ以降の年齢でも起こることかもしれない。ドラマ『9ボーダー』のように。考察の範囲を20歳前後に限定するのかどうかがゼミ論としては大きな選択である。

5時をちょっと回る頃に終了。

6時半頃、帰宅。

夕食はマーボ茄子、シュウマイ、ブロッコリーと干し海老に胡麻だれ、玉子と茗荷の汁、ごはん。

デザートは小玉スイカ。「まいばすけっとの小玉スイカは安くて甘いのよ」と妻が言った。

明後日の都知事選候補者についてのニュース番組。

「誰に投票するか決めましたか?」

『新宿野戦病院』の第一話(録画)を観る。小池栄子の演技が半端ない(この言い方、古いか)。そして宮藤官九郎のあふれ出る才能にあきれる。3シーズン連続である(『不適切にもほどがある』→『季節のない街』→『新宿野戦病院』)。打ち出の小槌か。

主題歌はサザンの『恋のブギウギナイト』。

ガリガリ君をかじりながら観る。

レビューシートのチェック。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時55分、就寝(かろうじて1時台に就寝)。