フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月23日(火) 晴れ

2024-07-24 13:41:26 | Weblog

7時半、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

永瀬拓矢九段が王座戦の挑戦者に決まった(挑戦者決定戦で羽生九段に勝って)。昨秋、藤井に王座を奪われた彼が今度は挑戦者として登場する。最短のリターンマッチだ。あの激闘が再び観られるか。第1局は9月4日(水)である。忘れないようにしなくちゃ。

昨日のブログを書いているときに、ブログの読者の方からメールが届いた。とんねるずの石橋貴明がホストを務めるラジオ番組に脚本家の坂元裕二がゲストで出演して、ドラマ作りについて語っているという情報と、わざわざラジコのリンクまで貼って下さった。私が坂元裕二のファンであることをブログでご存知なのだ。ありがとうございます。

さっそく聴いてみた(プログを書きながら)。びっくりしたのは坂元裕二は作家としてデビューする前からとんねるずの大ファンで、「とんねるずに会いたくてシナリオコンクールに応募した」ということだった。二人は旧知の間柄なのだ。ドラマ作りの話で印象に残ったのは、連続ドラマは結末が決まっていない状態で書き始めるが、映画は結末をきっちり決めてそこから逆算するように書いていくという点と、シナリオを書く前にまず出演する主要な俳優を決め、それからどんなドラマにするかを考える(いわゆるあてがき)という点だ。俳優については「声」が一番大切だと言っていた。

今日は演習の成績を付ける作業をする。受講生は30名で(登録時の人数で、脱落者なく最後まで行けた)、人数的には大変ではないのだが、レポート・発表の出来、フォーラムへの投稿状況、授業への参加状況(たんなる出席ではなく)などを基準に決める。グループでのレポート・発表はメンバーが同じ評価になるが、平常点(フォーラムへの投稿や授業への参加)は個人で違うため、最終的な成績は同じグループだからといって同じになるわけではない。

1時頃、外出。今日も猛暑日。気象庁の発表する気温は、いまでも芝生の上1.5メートルに置かれた百葉箱の中の温度計で測定されているのだろう。そこには直射日光は当たらず、アスファルトの道路からの照り返しもない。しかし、われわれが体感するのはそういう過酷な状況での気温である。したがって猛暑日はたいてい酷暑日(40度以上)である。やっぱり男性用の日傘を買おうかな。

電車に乗って隣町大森へ行く。

「キネカ大森」で映画を観るためである。

今日のお目当ての映画は・・・

『キングダム 大将軍の帰還』である。人気のシリーズですでに4作目である。私はこれまでの3作を観ていない。予備知識なしで観るわけだが、イメージとしては、大昔の中国を舞台にした国盗り物語のようなものだろう。

上映開始まで20分ほどあるので、売店でホットドックとコーラを買って、ロビーで食べる。外に出れば目の前に「フレッシュネスバーガー」があるのはわかっているが、映画館の売り上げに貢献したかった。

1時50分から上映開始。3スクリーンあるうちの一番席数の多い、といっても128席なのだが、「キネマ1」が使われる。前から3列目の中央に近い席に座る。

娯楽作品として楽しめた。合戦シーンや決闘シーン、そして登場人物同士の物語のシーンの配分がよいと思った。145分の作品だが、倦むところがなかった。ただし、浮世を離れることはできたが、浮世のことを忘れるというところまではいかなかった。私はスクリーンを眺めながらときどき浮世のことを考えていた。秦の大将軍王騎(大沢たかお)の話し方がアニメ『ドラゴンボール』のフリーザにそっくりなのはわざと似せているのだろうか。男たちは戦闘で顔に傷を負うが、女の戦士は、清野菜名も新木優子も、体に深い傷(ときに致命傷)を負っても決して顔には傷を負わないというのはお約束なのだろうか。

こんな作品も上映中。

こちらは近日上映。

陶芸作家の田中一光さんから注文しておいた作品が届いた。水色のスープマグ。以前、所有していたのだが、手元を誤って落として割ってしまったのだ。人気のある色で、なかなか購入できなかったのだが、ようやく手に入れることができた。美しい。

夕食はポークソテー、冷奴と納豆、茄子の味噌汁、ごはん。

ポークソテーは箸で食べやすいようにあらかじめナイフで切る。

食事をしながら『海のはじまり』第4話(録画)を観る。「それは言ってはいけない」という類の言葉がある。親子の間で、夫婦の間で、友人同士や恋人同士の間で、たぶんあらゆる人間関係の間で。このドラマではそういう言葉がたびたび出てくる。登場人物はうっかり言ってしまうのだろうが、もちろん脚本家は意図してそうしているのである。たぶん創作ノートに「それは言ってはいけない」リストというものをふだんから作っているのだろう(笑)。このドラマには、もしの寅さんがそばにいたら(朝ドラの寅子ではなくてフーテンの寅さんだ)、「それを言っちゃあおしまいよ」とレッドカードを出すシーンがたくさんある。言われた方の身になって、一瞬、体が凍る思いがする。とくに今回は(回想シーンも含めて)弥生(有村架純)はきつかったろうと思う。いやなこと、つらいことがあったとき、シャワーを浴びるというのはわれわれでもするが、服を着たままシャワーを浴びて、浴槽で泣き伏すというのは、よほどのことである。「弥生を守る会」を結成したいくらいだ。今回の最後の方で少しよい方へ物語が動くシーンがあったのは救いだった。あの子ども、ただものではないな。ちょっと怖いくらい大人びたことをたまに言う。脚本家の創作ノートには「普通の子どもはこんなこと言わない」リストがあるに違いない(笑)。

10時過ぎに、ツイッターのタイムラインに「マーボ屋Light」のつぶやきが流れて来た。

演習とゼミの成績を付け終えて、風呂に入る。

風呂から出て、今日の日記を付け、『パーティーが終わって、中年が始まる』を最後まで読む。

「もともと自分は二〇〇七年頃に「できるだけ働かずに生きていきたい」みたいな内容をブログに書くというところから物書きを始めた。当時はそういう意見がある程度支持を集めることができたのだけど、今同じようなことを書いたとしたら、「人に迷惑をかけずにきちんとしろ」と白い目で見られて終わるんじゃないだろうか。
 昔よりも今のほうが、ちゃんとお金を稼がなきゃならない、という空気が強いように思う。ゼロ年代の頃は不景気が続いているなどと言いながらも、まだ社会全体に余力があったのかもしれない。今は、格差社会化や高齢化が進んだせいか、役に立たないものを面白がる余裕がなくなってしまった。そんな時代の空気の中で、自分の存在が少しずつ時代遅れになってきているものを感じる。今まではなんとかごまかしながらやってこれたけど、この先はかなり怪しい。」(「このまま逃げ切りたいより)

「みんな人生をどうやって生きていっているのか、いつまで経ってもうまく想像できない。
 SNSで、普通の人間っぽくない変なハンドルネームで(たとえば「暴れ大納言」みたいな)、生活感のない変なことをいつもつぶやいている人たちが、ときどき何かの拍子に普通の社会人として働いているのを匂わせるようなことをつぶやいたとき、少し裏切られたような気持ちになる。
 自分は「pha」という人間かどうかもよくわからない名前で、何をやっているのかよくわからない生活を続けているのだから、みんなももっとわけのわからない生活をしていて欲しかった。自分以外のみんなはちゃんと人生を理解してしっかりと生きているのに、自分だけがいつまでも地に足の着かない生活をしている気がしてしまう。
 でも、そういう生き方しかできないのだ。先のビジョンはまったくないけど目の前のことをひとつずつかろうじてこなしていく、ただひたすらそれを繰り返していって、破綻が来る前に逃げ切りたい。もし破綻してしまったら、そのことを文章にしていろんな人に笑ってもらおうという心の準備だけはいつもしている。」(「このまま逃げ切りたい」より)

1時半、就寝。