8時半、起床。
チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
本日の朝ドラ。新潟県三条市にある家裁に判事として赴任した寅子。いかにもムラ的な人間関係の中での生活。純朴な田舎暮らしという都市生活者のイメージするものとは違う、閉塞的な日常。はやくも東京篇が懐かしい。
山下達郎『サンデーソングブック』をタイムフリーで聴きながら、昨日のブログを書く。
オンデマンド授業の原稿を書く。
2時半頃、昼食を食べに出る。大きな白い紫陽花はすっかり緑色になった。
その下に小さな白い紫陽花が顔を出している。両方とも手で触れながら「行ってくるよ」と声をかける。
「テラスドルチェ」に行く。
海老ピラフのセットを注文する。
食後にブレンド珈琲とサービスのミニ・珈琲ゼリー。
家を出るとき、ポストに入っていたのは澤田瞳子さんの新作『赫夜(かぐよ)』(光文社)。「赤」を二つ並べて「赫」。「かく」と読む。「赫」を二つ並べて「赫赫」(かくかく)という熟語は「赤く輝く様子。熱気を盛んに発する」様子のことである。平安時代、富士山が噴火した(延暦噴火)。未曽有の大災害である。その中での人々の苦悩と奮闘の日々を描いた歴史パニック長編。
著者の直筆サイン入りである。
でも、これは私に下さる本だからサインがされているわけではない。出版されるときにすべての『赫夜』に著者が直筆でサインをしたのだ(!)。お礼のLINEをお送りするときに「これは前代未聞の取り組みなのですか? 前例はあるのですか?」と聞いてみた。すぐにお返事が来て、「はい、前代未聞・・・というかこんなアホなことを考える人はあまりいないと思います。取次さんが返品可にしてくださったからこそ実現できました」とのこと。(注:通常、サインが入った本は売れ残った場合、汚損本扱いになり返品できないので、書店にとってはリスキーなのである)
「全冊サインに寄せる筆者のことば」が最後の頁に載っている。
「サイン本が欲しいのに、手に入りません」
そんな声を読者さんからしばしばいただきます。そんな方々を相手取り、本来、定価と同じ価格で売られるべきサイン本がインターネットで高値で転売される様子も、よく目にします。
書籍は、誰もが平等に手に取り得る存在です。ゆえに書籍の価格は再販制度で守られ、どこでも誰でも同じ価格で買えるよう定められています。
望む方に、望む本が届くように。本の平等性を、ひいては文化の平等性を守れるように、少しでも助けになれればと、販売される『赫夜』全冊に著者サインを入れることにしました。前代未聞のこの試みにご快諾・ご協力くださった出版社・取次会社の皆さま、装丁家の高柳雅人さんに心よりお礼申し上げます。
「人生意気に感じる」というのはこういう場合に使う言葉だろう。澤田さんは私より二回り以上年下の方だが、これからは「瞳子姐さん」と呼ばせていただきます。さっそくキンドル版を購入しようとしたが、まだ発売されていなかった。「ちなみにキンドル版にはサインはないわけですね(笑)?」と尋ねたら、「キンドルはサインは入りません。申し訳ありません_」との真面目な(?)返事。冗談ですよ、瞳子姐さん。
4時から修論面接(口頭試問)をオンラインで。
夕方、送り火をする。
ツイッター(あえてこの名前で呼んでいる)のタイムラインにマーボ屋Lightのつぶやきが表示された。
夕食は麻婆茄子、タラコ、サラダ、玉子とワカメのスープ、ごはん。
デザートはフルーツゼリー。
食事をしながら『海のはじまり』第3話(録画)を観る。海が教室で絵を描いている。先生が「上手ね、小鳥?」と声を掛けると、海は「サブレ―」と答える。
その直後に海の祖母(大竹忍)が仏壇に鳩サブレ―を備えるシーン。海の母・水季(古川琴音)が好きだったお菓子だ。
このドラマ、どんだけ鳩サブレー押しなんだと、水季と同じく鳩サブレ―が好きの私は思う。
しかし、ネットではもっぱら夏(目黒蓮)の優柔不断さにイライラするとか、弥生(有村架純)がかわいそうという書き込みばかりで、鳩サブレ―についての言及は陰に隠れている。
レビューシートのチェック。「日常生活の社会学はとても興味深く、受講してよかったです。ありがとうございました」的なレビューがたまにある。もしかして最終回だと勘違いしているのではないだろうか(笑)。もう一回あるからね。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時半、就寝。