8時15分、起床。
トースト2枚(チーズとバター&みかんジャム)、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。同じような食卓に見えて、目玉焼きの形は毎回違う(そういう感想を送ってきた学生がいた)。同じ一日というものはない。
『サンデーソングブック』をタイムフリーで聴きながら昨日のブログを書く。7月7日(日)の放送分で、「政治と政治家」にまつわるオールディ・ソングの特集。
2時近くになって、昼食を食べに出る。「テラス・ドルチェ」へ行く。
6人掛けの大きなテーブルに座る。
チキンライスのランチセットを注文。スープはすぐに出て来た。村上春樹『雑文集』を読みながら。
「一九六三年に初めてラジオでビーチボーイズの『サーフィンUSA』を聴いたとき、僕はちょっとしたショックを受けた。当時僕は十四歳で、その頃は朝から晩まで暇さえあればとにかくラジオでポップソングを聴いていた。いろんな曲やいろんなシンガーに夢中になったけれど(リック・ネルソン、エルヴィス、ボビー・ヴィー、ボビー・ダーリン・・・そういう時代だった)、『サーフィンUSA』はそれまでに聴いた他の曲とはぜんぜん違っていた。それは本当に新鮮で、オリジナルだった。ザ・ビーチボーイズといういかにも気楽な名前のバンドが鼻にかかった声で歌うそのあけっぴろげなサーフィン・ソングは一瞬にして僕を捉えてしまったし、ある意味では僕の心の扉のようなものを押し開けてしまったのだ。」(「みんなが海をもてたなら」より)
チキンライス。ここで一番よく食べるのは海老ピラフだが、チキンライスもたまに食べたくなる。
食後にブレンド珈琲とサービスのミニ珈琲ゼリー。
「結局のところ、今にして思えば、ブライアン・ウィルソンの音楽が僕の心を打ったのは、彼が「手の届かない遠い場所」にあるものごとについて真摯に歌っていたからではないだろうか。燦燦と太陽の光の降りそそぐマリブ・ビーチ、ビキニを着た金髪の少女たち、ハンバーガー・スタンドの駐車場にとまったぴかぴかのサンダーバード、サーフ・ボードを積んだ木貼りのステーション・ワゴン、遊園地のようなハイスクール、そして何よりもいつまでも色褪せることなく永遠に続くイノセンス。それは十代の少年にとっては(あるいはまた少女にとっても)まさに夢の世界だった。僕らはちょうどブライアンと同じようにそれらの夢を見て、ブライアンと同じようにその寓話を信じていた。それは手を伸ばせば届きそうに思えたし、僕らは彼の音楽を通してその可能性の香りを楽しんだ。」(「みんなが海をもてたなら」より)
店を出て、その足で大学へ。
地下鉄の早稲田の駅を出てすぐのところにある100円ショップが閉店していた。100円ショップというものが開店する(何かの店舗が閉まった後に)風景はよく見てきたが、100円ショップも閉店することがあるのか。儲かっていれば閉店はないだろうから、売り上げが落ちているのだろう。昨今の物価の上昇および円安で、「100円」という価格を維持するのが難しくなってきているのだろうか。
ATMで個人口座(お小遣い口座)の残高を確認(印刷)する。ふむふむ。
4時半から現代人間論系の教室会議。
オンラインではなく対面での会議である。場所は33号館高層棟7階の現代人間論系カンファレンス室。
同僚の小塩先生から新著をいただく。
小塩真司『「性格が悪い」とはどういうことか~ダークサイドの心理学』(ちくま新書)
著者です。
会議自体は6時20分ころに終わる。その後、茶話会。助手の櫻本さんが立てて下さった抹茶をいただく。祇園ちご餅というお菓子まで用意していただいた。ありがとうございました。
カンファレンスルームに隣接した現代人間論系室1(701号室)。助教さんや助手さんの部屋で、学生が何かの相談(ゼミ選びとか)で来た時はお茶が振舞われたりするらしい(運がよければね)。私の馴染みにカフェ「ティールーム101」を真似ていえば、「ティールーム701」ではなかろうか。
7時ちょっと前に大学を出る。
夕食はピーマンとチキンの丸ごと味噌煮、薩摩揚げ、タラコ、味噌汁、ごはん。
デザートは庭で獲れたブルーベリーとヨーグルト。
「私の好物というわけではありませんね。」
食事をしながら『海のはじまり』第2話(録画)を観る。なかなかの展開である。
本日締め切りのレビューシートのチェック。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
締め切りの23時59分を過ぎたところで、レビューシートのチェック。
1時45分、就寝。