フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月29日(水) 晴れ

2025-01-30 13:22:15 | Weblog

8時半、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

10時前に家を出ようとしたら、ゴミ集積所がカラスに荒らされ、コンビニ弁当の容器などが散乱している。放置しておくともっとひどいことになりそうなので、箒をもってきて散乱したゴミをネットの中に戻す。作業をやりおえたところでゴミ収集車がやってきた。ごくろうさまです。あとはお任せします。

今日は11時過ぎに志賀書店さんが研究室の本の下見にやって来られる。どれだけ引き取っていただけるかで今後の研究室の片付けの進め方が大きく違ってくる。

研究室に来られたのは店主さん、娘さん(?)、そしてベビーカーに乗った1歳半の男の子だった。最初、男の子は私を見てちょっと緊張した顔つきになったが、泣き出すまでには至らず、やがてベビーカーを降りて、研究室の中を探索しはじめた。もしかして目利きの才があるのかもしれない。

志賀書店さんは大学の近くの古書店だと思っていたが、それは私の勘違いで、江戸川区の古書店さんだった。1971年の創業ということは、私が高校2年のときだ。現在の店主さんは二代目で、店主になって29年とのことだった。私の早稲田大学での在職期間とほぼ同じだ。

店主さんは蔵書の全体をざっと見渡して(ときどき本を手に取って)、「図書館の本については除籍の手続きがされていますか」と聞かれたので、「それは図書館の本ではなく、自分でラベルを貼ったものです。一時期、自分の蔵書に分類シールを貼ろうとしたことがあったのです」と説明する。それは大学院生の頃の話で、そのシール貼りの作業を手伝ってくれたのが、現在の妻である。

「では、全部買い取らせていただきます」と店主さんは言った。それはありがたい。

改めて2月8日にトラックで来て、査定と搬出の作業を行うことになった。10時に来て(昼食休憩をl挟んで)5、6時間くらいの作業になるでしょうとのこと。そのときは若い男性が一人加わり、4人で来るとのこと。つまり男の子も一緒なのだ。「飽きちゃいませんかね」と私が聞くと、母親は「大丈夫です」と答えた。もしかしてずっと本を読み耽っているのかしら(笑)。

搬出の前日、2月7日(金)に私は研究室に来て、若干の取っておきたい本の選別作業をすることになる。いまこのブログを読んでいる学生(卒業生)で、持っていきたい本がある(かもしれない)方はその日が最後のチャンスなので、研究室の方へどうぞ。もちろんタダで差し上げますが、もしかすると、ちょっと片付けを手伝っていただくことになるかもしれませんので(笑)、ラフな格好でいらしてください。

志賀書店の方たちを見送って、昼食を食べに出る。

「たかはし」に行く。

豚肉生姜焼き定食(980円)を注文する。二重弁当、肉豆腐定食、刺身定食と並んでよく注文するメニューである。

ご飯が進くん。

2月8日の本の搬出のために車輛入構申請書を作成して事務所に提出する。

まだ書いていなかった昨日のブログを書く。

学位委員会に提出する書類の作成。

6時頃、大学を出る。

帰宅すると、1月14日に受診した人間ドックの結果が届いていた。深呼吸をして開封する。とくに変わったことはなかった。もちろん年相応の所見(聴力の低下、眼圧の上昇、胆嚢ポリープや胆石、脂肪肝、腎嚢胞、血小板数の軽度の低下、標準体重の上回り、など)は散見されるが、経過観察でよいレベル。いま忙しい時期なので、再検査や精密検査の必要な項目があると困るなと思っていたのが、一安心。

夕食は鰹のタタキ、豚汁、柚子大根、ごはん。

「たかはし」で刺身定食を注文しなくてよかった。

食事をしながら『アンサンブル』第2話(録画)を観る。新たに法律事務所のメンバーとなった真戸原(松村北斗)の歓迎会の会場に向かう面々。でも、真戸原本人がいない。それと・・・この通りは私は見覚えがある。池上駅前商店街ではありませんか(こんな横並びで商店街を歩いてはいけませんなぁ。『Gメン75』じゃないんだから)。


『Gメン75』(1975-82)

向かった先は「MATO庵」という名前の料理屋。

古民家カフェ「蓮月」ではないか!(私のブログにときどき登場する)

テーブルの配置などはドラマ用に変えられている。

店主は真戸原の父親(光石研)という設定(母親役は八木亜希子だ)。つまり「MADO庵」は彼の実家なのだ。

これからこの店はしばしばドラマの中に登場することになるのだろう。

「これでまた週末は混むことになりそうですね」

深夜、書類を仕上げて、関係者に送る。チェックが済んだら、明日、提出しよう。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時、就寝。