8時半、起床。
トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
今日は会議日。10時半から大学院の社会学コース会議。1時間ほどで終了。
昼食はコンビニおにぎり2個(鮭と昆布)。
2時から教授会。2時間ほど(教授会としては短かった)。
散歩に出る。気持ちよく晴れている。
JRのガード下を通って東口方面へ。
「カフェ・スリック」に顔を出す。
こんにちは、マダム。
テーブルの配置は元に戻ったが、店内で飲食できるのは一人客のみ(二人客は店外のテーブルを使用)。
シフォンケーキとグレープフルーツのセパレートティー。
シフォンケーキは6月限定のピンクグレープフルーツのシフォンケーキ。ケーキもドリンクも今日はグレープフルーツ尽くしだ。
マダムも忙しい毎日のようである。そんな中での楽しみは韓国のTVドラマや映画を観ること。韓国ドラマを見てしまうと、日本のドラマは安っぽく見えてしかたがないそうだ。映画では『タクシードライバー』が素晴らしかったそうだ。1980年の光州事件を題材にした作品だが、私は未見で、マダムがどんな映画であるかを詳しく話してくれた。当時、そんなことが韓国で起こっているとは知らなかった彼女は、そのことが恥ずかしいという。ストーリーは分かったが、観てみたい作品だ。
「スリック」には閉店の時間までいた。日没が遅くなったので、平日の閉店時間も週末同様18:00にするそうだ。
今日は湿気もなく、過ごしやすかった。
近所の専門学校のキャンパスに立ち寄って、ベンチでひと時を過ごす。
「プラハの音楽家」と子どもたち。
夕食はアジフライ、玉子焼き、味噌汁、ごはん。
アジフライは醤油とソースを使い分けて食べる。
デザートは葛切り。
劇団「兎団」のオンライン公演『白い世界』の感想(数日前に見たのだが感想を書く時間がなかなかとれなかった)。
ストーリーについて話をすると、どう書いてもネタバレになってしまうので、知りたくない方は次の段落は飛ばして下さい。
恐怖の大王が降臨して世界が再び破壊されてしまうかもしれない」というナレーションから話は始まる。一瞬、いわゆる「世界系」の物語(平凡な主人公ががんばって世界を破滅から救う)なのかと思ったが、そうではなかった。「再び」というところがポイントで、最初の破壊は「20年前」に起こったという。それは主人公の青年の子ども時代のことで、母親が彼を捨てて家を出て行ったということだ。それは「彼の世界」を破壊する出来事だった。以来、彼はかろうじて心(喜怒哀楽)のバランスを保って大人になったが、恋愛から結婚へという道筋をうまくたどることができずにいた。区役所で働いていて、優しい人柄で、つきあっている同じ職場の女性がいるのだが、いつか相手から捨てられてしまうのではないかという不安がぬぐえないのだ。そんなとき、区役所の窓口に何かの給付金の申請でやってくるクレーマーまがいの女がいた。その対応を青年はさせられるのだが、どうやらそれが20年前に彼を捨てて出て行った母親らいしのだ。彼女は窓口で対応をしているの自分の生んだ子どもであることはつゆ知らない。博多弁丸出しで彼に毒づく。「恐怖の大王」の再降臨である。さあ、大変だ。この後の展開については、オンライン公演(YouTube)をご覧下さい。
→こちら
『白い世界』は本来であれば「中野アクトレ」で上演される芝居だった。それが今回のコロナ騒ぎで中止となり、Zoomを使っての制作、YouTubeでの配信となった。こうしたことはコロナの時代の日常のあらゆる場面で見られる現象である。実際、私もオンライン授業、オンライン会議、オンラインカフェの日々である。大変なことになったものである。右往左往、試行錯誤しながら、なんとかやっている。だからZoomを使っての芝居の制作ということで、技法的な面からの関心もあった。
本編は4つのパート(ファイル)に分割されている。
#1 久遠寺透28歳(24:22)
#2 恋はしているんだよね~(26:39)
#3 いいかげん家賃払わないと。(23:11)
#4 恐怖の大王はX'masに降ってくる(51:25)
カッコの中の数字は時間を表すが、#4の51:25にはギョッとした。長いからだ。オンラインの講義(zoomで収録)では30分前後のファイルを2つで構成しているのだが、それが学生の集中力を考えると上限ではないかと考えているからである(同僚の先生方はもっと短いファイルに分割している)。リアルな教室で90分の講義が成立するのは、集中力の適度な弛緩が可能であるからだ(別の言い方をすると、講義には適度な散漫さが必要である)。しかし、観劇というのは講義を聴くよりも集中力の持続が求められる。『白い世界』はトータルで2時間ほどで、少し長めだが、リアルな劇場でなら舞台という空間をダイナミックに使って演出できるから、観客の集中力を持続させる工夫ができるだろう。しかし、Zoomを使うとなると、どうしても会話中心の展開になる。会話中心の演劇でも『12人の怒れる男たち』のような傑作は可能だが、なかなか難しいことである。#4はストーリーの展開上、分割はしにくい。本来は一気呵成に最後まで観るべきものであったが、私は途中で一度「一時停止」をした。集中力が途切れたからではなく、夕食の時間になったからである(書斎にいる私を妻が呼びに来た)。そして食事を終えて、最後まで観た。手に汗にぎる(という表現はちょっと大げさだが)展開だった。一人暮らしなら「一時停止」はしなかっただろう。
最初のあたり、登場人物が二人のシーンで、会話をする二人が交互に画面に表れて、カメラ目線で話をしているところは、小津安二郎の映画を意識しているのかなと思ったが、すぐに二人の画面が同時に表示され、それが三人、四人、五人と増えていき、登場人物が全員カメラ目線で会話を交わすようになって、おなじみのZoomミーティング的画面になった。リアルな舞台であれば、役者たちは会話の相手を見ながら話し、観客は客席からそれを眺めるわけであるが、ここでは役者はバーチャルな舞台(実際はそれぞの自宅の部屋にいる)から観客である私に向かって語りかける(しかし会話の相手は私ではなく画面上の他の役者である)。この違和感とどう向き合うかは私(観客)の側の課題だが、この違和感をどう演出に生かすかは作り手側の課題だろう。今回はお互いが初めての経験ということで、違和感は宙吊りの状態で(初々しい感じで)ずっとそこに留まっていたが、ストーリーの展開が進むにつれて、そちらの方に気持ちが向いた結果、違和感は薄らいだように思う。
今後、このZoomにおる制作を使い続けることになるのであれば(そうならないことを祈るが)、この違和感を逆手にとって生かす演出というのが考えられねばならないだろう(それは素人の私には具体的に示せませんが)。
一方で、違和感を減らすのであれば、目線の在り方や、役者が別々の場所にいるということを忘れさせるような工夫(たとえば背景をシーンごとにバーチャルな背景で統一するなど)が必要だろう。
以上、とりあえずの感想です。
久しぶりのウォーキング&ジョギング(いつもの半分の2キロほど)。
1時45分、就寝。