8時、起床。
トースト(はちみつ&オリーブオイル)、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
本日の『カムカムエブリバディ』。高校生3年生の夏休みの最後の一日、ひなたは映画村のアルバイトを休んで、小学生の頃と同じように、小夜子と一恵に夏休みの宿題を手伝ってもらっている。同じことを繰りかえしながらも、歳はとっている。そこが『サザエさん』とは違うところだ。そこに虚無蔵がやってきてアルバイトの謝金を渡すが(紐に通したたくさんの50円玉と5円玉)、これは映画村からのアルバイト代とは別の個人的なものなのだろうか。いや、そもそもアルバイトは虚無蔵の私的な依頼であって映画村からの謝金はないのだろうか。だとすると金額が少なすぎるのではないか。「やりがいの搾取」ではないだろうか。なんてことを考えていたら、あっという間に半年が過過ぎて、高校を卒業したひなたは映画村の職員として就職していた。1984年4月。朝ドラは『ロマンス』(観ていなかったので懐かしさはない)。「大月」の隣はあいかわらず空き地でコンクリートの土管が置かれている。この風景はいかにも60年代的で、時代の流れに取り残されつつあるあかね通り商店街には似つかわしいものの、バブル経済は空き地を放ってはおかないだろう。再々登場の算太(待ってました!)は一体どんな役回りをすることになるのだろう。かつて「たちばな」の再建資金を持ち逃げし、彼を探しに大阪に行った安子は雨の中で倒れ、安子とるいを引き離すきっかけを作った人物である。その「落とし前」はちっきりとつけてもらわねばならない。・・・一日の初めに「物語」を注入してくれるのが朝ドラである。
昨日のブログを書いてアップする。
2時を回った頃、昼食と買物のために外出する。
大井町の東小路飲食店街。
その薄暗い小路の中ほどにある
中華の「永楽」。ランチタイムど真ん中には行列のできる人気店である。
ワンタンメンを注文。焦がし葱のスープが旨い。
食べていると、客「チャーハン」、店員「この時間はやっていません」、客「もやしそば」、店員「この時間はやっていません」というやり取りがたびたび耳に入る。入口に時間制のメニュー限定の張り紙が出ているのを見落としているのだろう。チャーハンが出せないのはたぶんご飯を炊いているからだろうと思ったが、餃子にライスは注文できるのだから、そういうわけでもなさそうだ。もやしそばが出せないのはなぜかしら。ワンタンメンにはもやしがたっぷりトッピングされているのに。
食後のお茶を「ポットリー」に飲みに行く、
早咲きの桜の蕾がふくらんでいる。
「ポットリー」の店の前が明るいのは目の前にあった桜の木が何本か切られてしまったからある。
お気に入りの窓際のテーブルが空いていた。お冷とおしぼりをマダムが持ってきて「ロイヤルミルクティーかしら」と聞かれる。まぁ、いいかなという気持ちで「はい」と答える。
マダムから桜並木の話を聞いた。これは当時の国鉄(現JR)が植えたものではなく、70年ほど前に商店街のある店主が苗木を植えたものだそうだ。当時はフェンスなどはなく、国鉄の敷地(商店街の脇)に勝手にそういうことができたらしい。そのうち木が成長して、桜の名所みたいになった。国鉄としては桜の根が線路の枕木に及ぼす影響を考えて伐採を考えたこともあるらしいが、当時の国鉄の高木総裁が電車の窓からこれを眺めて「見事な桜並木だ。大井町駅の職員たちはよく世話をしている」と褒めたとかで、黙認ということになったそうだ。その桜並木も老朽化が進み、朽ちかけているものから順次伐採が行なわれている。後に新しい木を植えるという計画はないようだ。
駅前の山田電機でペンタブレットと編集ソフト(DPT)を購入。近頃は編集者とのゲラのやりとりもPDFでするのが主流になりつつある。私は相変わらず校正原稿に赤を入れて郵便でやりとりしているが、普通郵便での土曜配達、翌日配達がなくなって不自由になってきたので、そろそろ乗り換えを図らねばならない。
帰宅してゼミ論集の編集作業。来週くらいに印刷・製本業者に見積もりを依頼して、データを渡すことになるだろう。
本日の東京の新規感染者数が発表された。昨日よりは増えているが、先週の火曜日よりはかなり減っている。明日も同じようになってくれたらそれでいい。
チャイ、まだ風呂には早いよ。
郵便受けに新聞を取りに行きがてらチャイを外に出す。今日は「猫の日」だから特別サービスだ。以前は目の前を通り過ぎる自転車・バイクなどを怖がっていたが、もうそういうことはなくなった。道行く人が「かわいい猫ちゃん」と言ってくれるとまんざらではないようだ(それは私か)。
夕食は海老団子と茄子のアラビアータ(ピリ辛トマトソース煮)。
食事をしながら『ホワイトドクター』第6話(録画)を観る。前回が東南アジアでのロケ中に蝙蝠を媒介として狂犬病にかかったモデルが患者がだったが、今回は父親がヨーロッパから輸入したアンティーク家具に紛れて家の中にいた毒蜘蛛に刺された少年が患者。同工異曲の話に思えた。
「猫の日」だからというわけでないが(いや、そうかな)、庄司薫のエッセー集『ぼくが猫語を話せるわけ』(中央公論社、1987年)を書庫から引っ張り出してきて読む。
庄司薫は元々は「犬派」であったのだが、ピアニストの中村紘子と結婚してから、彼女の飼い猫であるタンクローという8歳になる大きな(体重7.5キロ!)牡のシャム猫と一緒に暮らすようになった。
僕は嘘をつくのが大好きで、そのためには千里の道も遠しとはしないのだが、ほんとのことを書くのは嫌いらしく、いわゆる「私生活」などについてまともに記述するのを大の苦手とする。
そんなところへ一匹の猫がとびこんできた。ぼくはしめたとばかり、成行きまたは行きがかり上断りきれない私生活関連随筆(?)は、すべてこれ猫の話をもってすることにした。ちょうど、友人の写真家沢渡朔さんが、タンクローをすっかり気に入って写真をたくさんとってくれたので、その写真を必ず使うという条件などをくっつけて・・・。
ところが不思議なことに、僕が猫の話を書き始めると同時に、世の中には猫に関する文章や出版物が次第に増えてきたように見うけられた。二十世紀も最後の四半世紀に至って、我が日本は、その不動産問題を核心とする生活構造ならびに経済構造の変質を土台として、あらゆる意味で「犬の時代」から「猫の時代」に変わりつつある、とでもいうように。
ひょっとするとタンクローは、ぼくにこの時代の変化を知らせるためにこそ、わざわざ犬好きのぼくのところに居候にやってきたのではあるまいか・・・。(「あとがき」より)
なお、装飾とカットは中村紘子によるものである。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時半、就寝。