中村とうよう氏が亡くなった。
21日午前、自宅マンション8階から落下したらしく、新聞は自殺の可能性が高いとしている。79歳だった。
中村とうよう氏といえば、音楽誌『ミュージック・マガジン』の創設・執筆・編集として多くの人の知るところだが、ブルース・ファンにとっては『RCAブルースの古典』というオムニバス盤で日本にブルースを紹介した功績が大きい人として知られている。
続編を合わせると5枚のLPになるこのシリーズを、わたしが手に入れたのは1970年代の後半だったと思う。当時、戦前の本格的なブルースを聞けるLPが輸入盤でもなかなか手に入らない状況の中で、RCAに録音したブルースマンに限られるとはいえ、このシリーズは随分と重宝したものだった。このシリーズを手始めに、ブルースの世界に足を踏み入れたブルース・ファンも多いに違いない。
ただ、中村とうよう氏の評論は好悪がはっきりしすぎていて個人的にはあまり好きではなく、『ミュージック・マガジン』誌を買って読むようなことも無かった。もっとも、1960~70年代頃の評論家と言われる人たちは皆好悪が激しく、バッサリと切り捨てる傾向が強かった。自分もそれに近い傾向を持っていることは自覚している。なので、常に許容量を増やせるように心懸けてはいるのだが、遺憾ながら許せない事も多い。
中村とうよう氏の死の真相は、もはや誰にもわからない。が、いずれにしろひとつの時代が終わったことを感じざるを得ない。音楽に希望を託せる時代の終焉。
合掌。
21日午前、自宅マンション8階から落下したらしく、新聞は自殺の可能性が高いとしている。79歳だった。
中村とうよう氏といえば、音楽誌『ミュージック・マガジン』の創設・執筆・編集として多くの人の知るところだが、ブルース・ファンにとっては『RCAブルースの古典』というオムニバス盤で日本にブルースを紹介した功績が大きい人として知られている。
続編を合わせると5枚のLPになるこのシリーズを、わたしが手に入れたのは1970年代の後半だったと思う。当時、戦前の本格的なブルースを聞けるLPが輸入盤でもなかなか手に入らない状況の中で、RCAに録音したブルースマンに限られるとはいえ、このシリーズは随分と重宝したものだった。このシリーズを手始めに、ブルースの世界に足を踏み入れたブルース・ファンも多いに違いない。
ただ、中村とうよう氏の評論は好悪がはっきりしすぎていて個人的にはあまり好きではなく、『ミュージック・マガジン』誌を買って読むようなことも無かった。もっとも、1960~70年代頃の評論家と言われる人たちは皆好悪が激しく、バッサリと切り捨てる傾向が強かった。自分もそれに近い傾向を持っていることは自覚している。なので、常に許容量を増やせるように心懸けてはいるのだが、遺憾ながら許せない事も多い。
中村とうよう氏の死の真相は、もはや誰にもわからない。が、いずれにしろひとつの時代が終わったことを感じざるを得ない。音楽に希望を託せる時代の終焉。
合掌。