ジョニー・シャインズ(Johnny Shines)は、1915年4月26日テネシー州フレイザー(Frayser)に生まれ、1992年4月20日にアラバマ州タスカローザ(Tuscaloosa)で亡くなっている。わたしのレコード棚―ブルース54で取り上げたロバート・ロックウッド・ジュニアーと同い年で朋友ともいえるブルースマン。1934年頃ロバート・ジョンソンと出会い、演奏旅行を数年共にした、という。そして、ジョンソンのスタイルをかなり忠実に継承したギタリストでもある。1938年にジョンソンが死んでからは、メンフィス周辺で活動し、その後1941年にシカゴに移動したらしい。
1946年以降、何度か録音の機会を得たらしいが、発売に至ったものは少なく、運良く発売されたものもセールス的には失敗に終わったという。そして、1958年頃にはミュージシャンとしての活動を停止するも、1960年代中頃に再び再開、ヨーロッパそして日本にも訪れている。
1975年3月、東京の郵便貯金ホールでのライブ録音。徳間音工から出た国内版LP、BMC-2003。アコースティックギター一本で、かなり原曲に忠実なロバート・ジョンソンのナンバーなどを演奏している。使っているギターは、ギブソンのB-25と思われる。
これは、当時の音楽誌などでは、かなり評判が悪かった演奏だ。が、個人的にはとても好きな一枚で、大切にしている。遠い日本まで来て、「手さぐり状態の抑制された演奏」とも聞こえるし、あるいは招へい元の要求もあったのかもしれない。なので、シカゴブルースの持つ場末の泥臭さ、あるいはデルタの田舎臭さ、などを求めるブルースファンにとっては物足りないのかもしれない。しかし、先入観なしに聴けば、ここにあるのは確かに良い音楽だと感じる。繊細な音使いで、彼なりに細かく工夫したギター演奏が随所に聞きとれる。特に、最後に入っているゴスペルナンバー「Nobody's Fault But Mine」は、アコースティックギターの繊細な音と抑制されたヴォーカルで秀逸。わたしの目標とする演奏でもある。
ロックウッドの項でも紹介したLP、ROUNDERのLA-25-5002。1981年4月の録音。シャインズは、1980年に脳卒中の発作に襲われたらしいので、この時には、既にギターを思い通りには弾けなくなっていたのかもしれない。ヴォーカルのみを5曲で担当している。
1946年以降、何度か録音の機会を得たらしいが、発売に至ったものは少なく、運良く発売されたものもセールス的には失敗に終わったという。そして、1958年頃にはミュージシャンとしての活動を停止するも、1960年代中頃に再び再開、ヨーロッパそして日本にも訪れている。
1975年3月、東京の郵便貯金ホールでのライブ録音。徳間音工から出た国内版LP、BMC-2003。アコースティックギター一本で、かなり原曲に忠実なロバート・ジョンソンのナンバーなどを演奏している。使っているギターは、ギブソンのB-25と思われる。
これは、当時の音楽誌などでは、かなり評判が悪かった演奏だ。が、個人的にはとても好きな一枚で、大切にしている。遠い日本まで来て、「手さぐり状態の抑制された演奏」とも聞こえるし、あるいは招へい元の要求もあったのかもしれない。なので、シカゴブルースの持つ場末の泥臭さ、あるいはデルタの田舎臭さ、などを求めるブルースファンにとっては物足りないのかもしれない。しかし、先入観なしに聴けば、ここにあるのは確かに良い音楽だと感じる。繊細な音使いで、彼なりに細かく工夫したギター演奏が随所に聞きとれる。特に、最後に入っているゴスペルナンバー「Nobody's Fault But Mine」は、アコースティックギターの繊細な音と抑制されたヴォーカルで秀逸。わたしの目標とする演奏でもある。
ロックウッドの項でも紹介したLP、ROUNDERのLA-25-5002。1981年4月の録音。シャインズは、1980年に脳卒中の発作に襲われたらしいので、この時には、既にギターを思い通りには弾けなくなっていたのかもしれない。ヴォーカルのみを5曲で担当している。