タンパ・レッド(Tampa Red)も、生年および生地さらに本名までが資料によりまちまち。1900年アトランタ生まれ、としているものもあれば1903年ジョージア州スミスヴィル(Smithville)生まれ説、同地での1904年説などなど。本名も、ハドソン・ウィタッカー(Hudson Whittaker)あるいはハドソン・ウッドブリッジ(Woodbridge)としているものなど。が、子どもの頃にフロリダ州タンパに移ったためタンパ・レッド(Tampa Red)という芸名を使って、主にシカゴで活躍し、シカゴで1981年3月に亡くなったことは間違いないらしい。
自身のヴォーカルやギターも優れているが、様々なミュージシャンと共演してバッキングでも多くの名演を残している。
YAZOOのLP1039、全14曲。初期の演奏を集めた名盤。このLPに収録されている『Denver Blues』は、今でもオープンDチューニングによるスライドギター独奏のお手本として教則本に載ることが多い歴史的録音。本人の他、ジョージア・トム、フランキー・ジャクソン、マ・レイニーなどのヴォーカルも入っている。
余談だが、日本のブルースバンド「憂歌団」の初期の録音は、このLPの中の曲をコピーして、それに日本語の詞を付けたものがある。憂歌団のギタリスト内田勘太郎氏は、タンパ・レッドのこのLPに強く影響されたようだ。
BLUESVILLEレーベルのLP1030。1960年シカゴでの録音10曲。エレキギターやカズーを使っての弾き語りで、単独で録音したもの。個人的には、このLPは好きな一枚。なにか、ほのぼのとしたところがあり、静かに語りかけてくれているようで、聴いているとホッとする。
自身のヴォーカルやギターも優れているが、様々なミュージシャンと共演してバッキングでも多くの名演を残している。
YAZOOのLP1039、全14曲。初期の演奏を集めた名盤。このLPに収録されている『Denver Blues』は、今でもオープンDチューニングによるスライドギター独奏のお手本として教則本に載ることが多い歴史的録音。本人の他、ジョージア・トム、フランキー・ジャクソン、マ・レイニーなどのヴォーカルも入っている。
余談だが、日本のブルースバンド「憂歌団」の初期の録音は、このLPの中の曲をコピーして、それに日本語の詞を付けたものがある。憂歌団のギタリスト内田勘太郎氏は、タンパ・レッドのこのLPに強く影響されたようだ。
BLUESVILLEレーベルのLP1030。1960年シカゴでの録音10曲。エレキギターやカズーを使っての弾き語りで、単独で録音したもの。個人的には、このLPは好きな一枚。なにか、ほのぼのとしたところがあり、静かに語りかけてくれているようで、聴いているとホッとする。