文化逍遥。

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いか八朗さんを偲んで

2018年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム
 いか八朗(いか・はちろう、本名近藤角吾=こんどう・かくご)さんが5月28日、老衰のため亡くなった、84歳だった。高知県出身。

 わたしは、この人について想い出がある。もう30年ほど前になるが、三宅坂の国立演芸場に行った時の事。5月の連休に開催されていた「演芸祭り」の一環で、たしかボーイズ協会の公演だったと記憶しているが、それに出かけて行った時の事。入り口の前で、子どものように小さな人が立っていて「お兄さん、チケット持っている?」と、声をかけられた。ダフ屋かと思いきや、そうではなかった。「僕、いか八朗という芸人なんだけど、自分で売る分の券が残ってるんだ、3000円なんだけど1500円でいいから買ってくれないか」。わたしは、胸に迫るものがあった。ライブハウスなどで出演者がチケットノルマとして自分で売りさばかねばならない一定数のチケットがあるのは承知していた。が、まさか大きな協会の公演で、しかもわずかな出番しかない芸人がチケットノルマを担っているとは思いもしなかった。まあ、考えようによっては、仮に1枚につき1500円が芸人の負担分とすれば、それを3000円でさばければ1500円のマージンが入る。なので、そういう販売ルートを確保している人にとっては、確実な収入源になるだろう。しかし、その時、これが芸人さん達の現実なんだな、と思い知らされたのも事実。わたしは、窓口で買えば3000円なので、それだけ出したかったが、こちらもその頃フリーランスで仕事を始めたばかりで経済的に余裕があるわけでもないので、2000円出して買うことにした。「おつりはいいよ」と言ったあと、暫くわたしの顔をジッと見ていたいか八朗さんの顔を今でも鮮明に覚えている。今にして思えば、あの時3000円で買っておけば良かった、と少し後悔している。

 その日の、いか八朗さんの芸は、サクソフォンを吹きながらの10分程の一人漫談だった。が、少し調べてみたら、この人はかなりマルチなタレントだったらしく、浅草の劇団員からスタートして、作曲をしたり、演芸家、そして俳優として映画などにも出ていたようだ。ご冥福をお祈りします。

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